カタシ一生の不覚。
私が幼少より慣れ親しんだ『はらぺこあおむし』
エリック・カール氏の金字塔にして、世界のアイドル。
お腹が減りすぎて、お子ちゃまのアイスクリームやチョコやキャンディまで食べてお腹をこわしたあおむし。このあまあまに賭ける情熱は、まるで私自身を見るようではないか。
絵本はらぺこあおむしとは、じつに私自身の叙情詩絵巻なのである。


この、はらぺこあおむしがマクドのハッピーセットのおまけになっているのを知らず、第1弾のプレゼント期間を逃してしまったではないか。
第2弾のプレゼント期間ですら6月1日までなのだ。
第1弾3種類、第2弾3種類、そして6月2日からは全6種類。私が狙う、はらぺこあおむしとりんごのジョウロは第1弾のおまけであったから、次は6月2日からの第3弾全6種類に賭けるより他ない。単純計算で3分の1から6分の1へと当選確率は下がる、加えてたとえ6回ハッピーセットを6回注文したからと言って必ず当選する保証はない。
たかが子供用のおもちゃではないか、などと言ってはならない、好ましく思うものにはその情熱の全てを捧げ血道を上げるのが私の主義である。
転売商品を買うのは私の矜持にあわない。
如何にして、はらぺこあおむしとりんごのジョウロを正規の手段を以て手中に収めるか、ここは思案のし処である。
私は暫しの考える人と化すのだ。



我を過ぐれば憂いの都あり

我を過ぐれば永遠(とこしへ)の苦患(なやみ)あり

我を過ぐれば滅亡(ほろび)の民あり

義は尊きわが造り主(ぬし)を動かし

聖なる威力(ちから)

比類(たぐひ)なき智慧

第一の愛 我を造れり

永遠(とこしへ)の物のほか物として我よりさきに造られしはなし

しかしわれ永遠に立つ

汝等ここに入るもの一切の望みを捨てよ

(山川丙三郎訳)

ダンテ・アリギエーリ氏の大叙情詩『神曲』
地獄の門の碑文としてこの詩は刻まれてある。
山川先生の比類ない名訳が私の脳裏をよぎる、そして何よりもロダン作、地獄の門の上部に「考える人」は配されてあるのだ。

懊悩し考える私、一歩間違えばマクドの自動ドアが私の地獄の門となりかねない、無欲の勝利と言うけれど、碑文の通り一切の望みを絶ってはジョウロは得られないではないか。
ここで私は閃いた。幸い私には子供食堂の友達がいる。この親友たちにマクドをご馳走する名目でハッピーセットを注文してもらい、当選確率を上げる。そしてもし、私が外れたとしても当選した子に情けを乞い、なんとか私の品と交換してもらうのはどうか。
我ながら素晴らしいアイデア、今年のフィールズ賞にノミネートされたらどうしよう。あ、あれは40歳以下であった。兎も角もエクセレントな解答である事に疑いの余地はない。
今日この時点で8人のお子ちゃまとその親の約束を取り付けた。
六月二日、カタシ殿の八人。いざ。

ちなみに地獄の門は世界に7体ある。
そのうちの2体までもが静岡と東京にあるのだ

日本は世界有数の地獄の門密度なのである。

二人の考える人は、日本国で何を思う