取り引きである。
しかも秘密の取り引きなのである。
このような場で書いちゃって良いのか、もしこのあと私の消息が途絶えたならば、ガールフレンドたちと京都市動物園のデンマル氏、キジトラの玉三郎、そして柴犬のゴローにカタシは精一杯生きたと伝えて欲しい。
君らの心にカタシは生き続ける。そしてテレビでSnow Manのめめを見たなら、どうか私を思い出して欲しい。

36年も前の事であるのに、告白するのはこれが初めてである。神父さまにも、大阿闍梨さまにも、仲良しの女性たちにも、アホみたいな友人たちにも、親友の動物たちにも、手下の外国人たちにも、話してはいない。
私はほとぼりが冷めるのを待った。今がその状態にあると言う確信はない、ないが、告白しなければ秘密の重さに自らが押し潰されそうになるのだ。
この瞬間から、住み慣れた街や見知った人々、見慣れた景色や鴨川の流れすら、私に向けて他人の顔をするに違いない。全ての色は失われ、モノトーンの世界に身を投じ、息を潜めながら、自分で自分を消した世界に生きねばならないのだ。

少年ジャンプ。当時から現在に至るまで、その勇姿を留める週刊漫画誌の雄である。
こう言ってはなんだが、私の家では漫画を買って貰えなかった事もあり、小遣いを自儘に使えるようになってからも漫画を読む習慣や、もちろん買う事もなかった。
漫画と言えば友人宅に遊びに行った時、無造作に放り出してある数冊をパラパラ乱読する程度で、つまらなくはないけれど、それで事足りて、気持ちは満ちていた。
これはもちろん漫画が劣ると言う意味ではなく、単純に好みの問題である。

高校生の頃、何より漫画が好きなK君とよく時間を共にした。
当時の土曜日は半日授業で午後から遊ぶ約束を取り付けやすい、高校生ともなれば、それなりに小遣いも持っているから一緒に然るべき店で昼食を食べ、その流れで遊ぶというのが土曜日の過ごし方であった。
K君は開業医の子息で、とある医学部を目指していた。ところが勉強もそこそこに漫画にのめり込み、しかも自室を漫画だらけにしてしまい、机に向うとつい漫画を手にすると言う状況に陥っていた。
成績が下がった事を見かねた父親が、漫画類一切を没収するという強硬手段に出たのだが、彼のベッドの下には災禍を免れた漫画が累々と積まれていたのであった。しかも外側を参考書で固めカモフラージュとし、内側に漫画を保管する知能犯ぶりである。医師にするには勿体ない人材だ。

そのK君が土曜日の午後2時を過ぎるとソワソワ落ち着きがなくなる。
「もう少ししたら取り引き、いくで」
K君は熟達の悪い男の顔をした。取り引きとやらの場数を随分とこなしているらしい事は想像がつく。
K君は今では懐かしいマジソンバッグを手に、しかもジッパーを開いた状態で、とある商店に入って行った。
パン、ジュース、菓子類、アイスクリーム、特に目立つもののない、至って普通の商店である。
レジの前に座るばあちゃんは70歳手前くらいであろうか、K君と私に「いらっしゃい」の掛け声もない。
無言でマジソンバッグをばあちゃんに差し出すK君、ばあちゃんは紙に包まれた何かを素早くマジソンバッグに入れた。レジ前に硬貨をおき、その場を足速に離れるK君。釣り銭を出ないようにするのもテクニックらしかった。互いに言葉を交わす事もなく、この間20秒ほど、これは間違いなくプロ同士の仕事である。
K君は近場の公園まで行き、辺りを見回したあとにそっとマジソンバッグから紙に包まれたブツを出し、包み紙を剥がし始めた。
「これ、これジャンプや」
包まれていたのは週刊少年ジャンプである。K君は続ける
「これ、ほんまは来週にならへんと読まれへんねん、そやけどあの店は土曜日の2時過ぎに売ってくれるんや」
週刊誌の流通がどのようになっているか私は知らない、ただ、おばあちゃんはどうやらフライング販売をしているようだ。
確信犯のおばあちゃん、それがこの取り引きに繋がっているのであろう。
「カタシくん、この事は絶対に誰にも言ったらあかんで」
なんたる事か、私はたまたまその場に居合わせたばかりに秘密取り引きの片棒を担いでしまったのだ。

そして事件は数ヶ月後に起こった。
その土曜日、K君は私に言う
「カタシくんあの店のばあちゃん、どこからかクレーム入って土曜日にジャンプを売ってくれへんみたいや」
ばあちゃん、ついに摘発されたらしい。おそらく問屋筋から、こっぴどく怒られたのであろう。
それでも諦められないK君は私と共にあの店へ向かった。
ばあちゃんは何事もなかったかのように定位置に座っている、K君はガラス越しに店の前を通り過ぎて、ばあちゃんとアイコンタクトを交わす。プロ同士のみが分かる無言の会話だ。
ブツはある……
いけないおじさんの顔になったK君、意を決してマジソンバッグのジッパーを開けた。今日はマジソンバッグがジュラルミンのアタッシュケースと化している。
高鳴る鼓動、京都の下町なのにまるで湾岸の倉庫街。K君の学ランがトレンチコートに見えるぜ。
組織の一員となったK君は店に入り、前回見た時と同じ動きをする、ばあちゃんも呼応して手際が良い。
無事に取り引きを済ませたK君、離れた場所でブツを確認すると、前回と同じく私に口止めを強要した。

人は何かを咎められた時、真に反省するか、次回はバレないよう、もっと上手くやろうとするか、この二つである。
K君とばあちゃんは後者、そしてその後も摘発を逃れ続けたようだ。
私が知るのはここまで、そして36年口をつぐんで来た。皆様もどうか、ここで目にしたものは口外しないで欲しい。
私はこの告白のあと念の為に高飛びをする、とりあえずICOCAに1000円チャージしたし、逃亡資金は20000円ほどあるから暫くは遊んで暮らせるとは思う。
皆様には逃亡の途中、面倒をかけるかも知れない、贅沢は言わないけれど、ご当地の美味しいものをご馳走して頂き、和洋のあまあまの幾つかを用意して欲しい。且つ、柔らかな真綿の布団かシモンズのベッドがあれば尚よろしい、風雅を忘れたくないから部屋には生花を。
朝食はフルブレックファストで、お紅茶はダージリンを去年のセカンドフラッシュでお願いしたい。
とりあえずはこんなとこかな。

素敵な逃亡者ライフ

よろしく。

ふふ