15年ほど前だ。当時はすでに引退されていた日本を代表するレーシングドライバーの方と面晤を得た。
場所は鈴鹿サーキット。知人の便宜でピットパスを用意して貰ったのだ。
チームピットの片隅で私はその方に問う
「レーサーとして、例えばF1のチャンピオンになる人とそうでない人との決定的な違いは何ですか?」
その方は少し考え、真摯に答える
「テクニックであるとか、そう言った差は思ったほど大きくはない。一番違うのは頭のネジの緩み具合だ」
と、笑い。さらに続けて
「これ以上やったら死ぬな、と言うネジが緩んでいるか、最初からネジがない、この傾向は外国人レーサーの方に一層強いし、実際死んでしまうドライバーもいる」
と嘆息する。一般人から見たらレーサーと言うだけで少々ネジが緩い気もするのだが、彼らが緩んでいると言い、ネジがないとまで言うレベルとはどのくらいのものか。考えただけで戦慄する。

以来、この時に聞いた「ネジの緩み」が気になっていたのだが、ある時に脳科学のレポートを読んでいると非常に面白い事が書いてある。
「新奇探索性」つまり、新しいものを経験した時に喜びを覚える性質を言う。好奇心旺盛、進歩的、冒険心が強い、とも言えるし、それまでの一切を投げ売ってでも新奇な事に挑戦する性質と言い換えもできる。
この新奇探索性は脳内のドーパミン分泌と深く関わっているらしい。ドーパミンとは神経伝達物質でアドレナリンやノルアドレナリンの前駆体、前駆体とは素みたいなものでドーパミンからアドレナリンやノルアドレナリンは作られる。
ドーパミンが分泌されると神経のいくつかある受容体に放出されるのであるが、そのD4受容体と呼ばれるものが新奇探索性を左右するものらしい。
D4受容体が通常の場合と長い場合とがあり、長い場合に新奇探索性が高くなると言う。
ドーパミンは恐怖心を和らげ不安を取り除き、幸福感や興奮をもたらすものである。
つまり、新奇探索性が高いとは通常の人が恐怖心を感じるところに恐怖を感じる事はなく、さらに不安要素をも感じにくく、むしろ新しい領域に入るのを快感とし、到達した事のない世界に自己を誘うのだ。これがいわゆるネジが緩むの正体ではないかと私は推測する。レーシングドライバーは通常の人より神経のドーパミン受容体D4が長いのではないかという推測が成り立つのである。
レーシングドライバーのD4受容体に関するレポートは見つけられなかったが、地域別のレポートは存在する。
この受容体の長い人の存在を日本人1を基準にすると北欧で5〜6倍、ラテン民族を中心とした南欧では10倍以上にも及ぶと言う。
これを以てこのレポートは日本の若者にチャレンジ精神が乏しい事の一要因としている。なるほど一理ありそうだ。
チャレンジよりリスクが目についてしまう日本人。
ネジが緩んだ人々を相手にするのは並大抵ではなかろう。

そして今ひとつ
ドーパミンD4受容体は別名浮気遺伝子と呼ばれている。この受容体が長い人は異性と一夜限りの関係を持つ人や浮気をする人が通常受容体の人に比して異常なレベルで多いと言う。
情熱的なスペイン人やイタリア人を遺伝子で説明できるのだ。怖ろしい時代であるし、遺伝子レベルで浮気者を説明できるとなればこれは別の問題を引き起こす事ともなろう。
任意の彼、彼女が浮気を繰り返す理由として、そのような脳であるから、浮気脳だから、と言う主張がある程度の整合性を以て受け入れられはしまいか。
浮気だけではない、凶悪犯罪、性的犯罪に対してすら脳科学の進歩と共に遺伝的な要素の整合性を主張されれば、先天的疾患であるとの判断をされかねない。先天的疾患であれば、個人の罪をどの程度問えるのか議論を呈する事になろう。
今や脳科学は人の行動や性格の大半を解析できる境地に至っている。大変に探求のし甲斐がある学問であると同時に倫理的な課題を多数呈していると言うべきであろう。
近い将来、二人の遺伝情報を互いに交わした後に納得して結婚する、という事が起こりうるし、そもそも女性に関して言えば自分好みの赤ちゃんをデザインできる時代である。
外見の構成はもちろん、脳までデザインされた人間が技術の上では、ある程度製造可能なのである。
脳がどのようになっているのか、人の心とは何を指すのか、科学者の「新奇探索性」の前に倫理は無力である。
科学はいつも倫理とは無縁のところで発展を遂げて来たのだから。
人の行動、性格、さらにそれを踏まえた私のこれからまで予定予測されているとしたら、これほど身も蓋もない話はない。


さて
私は好奇心旺盛でわりと新しいもの好き、知らない人にも平気で話しかけるし、警戒心に欠けると言われている
これだけで私を浮気者と決めつけないで欲しい。これは状況証拠である。濡れ衣である。
ちゃんと怖いものはあるのだ。ニンジンと納豆、そして高いところ。
特に高いところは絶対に嫌だ、全く恐怖心を克服などできない。できよう筈はない。

これで身の潔白は証明された。私は一途な男に違いない。いや、一途な男なのだ。

たぶん。