納豆。言わずと知れたネバネバトロトロの名脇役。決して食卓の主役とはなり得ないけれど、昨今の健康ブームも手伝ってか、その人気はつとに知られる所である。ただし、役者としてその演技はちょっと臭い。
関西では納豆を食べないなどと、これは既に過去のものとなりつつある。私の周りを見渡しても、むしろ好んで納豆を食べる関西人は多いのだ。
前述の通り、納豆は大変健康に良い事に加えて、かつてのような、あの納豆特有の匂いが和らいだ事も関西で需要が増した理由の一つに挙げられるらしい。
そう、確かに昭和のあの日、納豆は堂々とその存在を匂いで主張した。空気と撹拌させた時のあの部屋中に広がった匂い、朝の清々しさとは裏腹に一日のやる気が匂いと共に空気に溶けて何処かに霧散していく。自らは食べなくても確実に私の何かを奪って行った納豆。
朝に必ず納豆を食べていた姉は私を阿呆呼ばわりする、そんな姉に
「ねえちゃんは納豆ばかり食べてるから、足が納豆臭いねん」
と言い、私はしばかれた。可愛い弟を躊躇なく、しかも最初からグーでしばくなど、鬼畜の所業である。
やがて納豆は私の中で絶対に忌諱するものとして、食べたらあかんもんリストの上位に君臨し続けた。

時は流れ人も変わり納豆も変わった。
納豆兄さんもかつてのように尖ってはいない、人々に愛される存在として自らを変えようと努力したに違いない、このオレの全てを受け入れられないなら、食べなくても構わねぇからよー、と言った態度をすっかり改めて、なるべく匂わねぇようにすっからよー、体にも良いから食べてくれよな、という心根が垣間見えて好感が持てる。
更生したあの子を受け入れられないのは狭隘な心底の持ち主であるとの誹りは免れない。加えて当時のガールフレンドにニンジンを克服するか納豆を克服するかを私は強く迫られ、ついには納豆を受け入れる決心をしたのである。
最初は薬味ネギやらミョウガやらを阿呆ほど入れた上にお出汁をじゃぶじゃぶかけて、その存在を限りなく分からなくさせてからチビチビと一口、二口と食べていた。
かつての思い出が走馬灯のように甦り、ねえちゃんの靴下が脳裏をよぎる。
涙目になりながらもガールフレンドの監視下にある為にギブアップはできない。納豆でガールフレンドを失ったとあれば末代までの恥ではないか。
そう、そのようなすさまじい修練を重ねてこんにちの私はある。
心から納豆が美味しく思えるかと言えば嘘になる、だが、かつてのような疎遠な関係はもうないのだ。聞けば関東にはかつてのような、この令和にあっても尖り続けるトラディショナルな納豆が存在すると言う。
かつての苦い思い出と完全に決別する為に挑戦しようと言う気もあるのだが、いかんせんその勇気が私には整わない。

さしあたり実験的に件の納豆を取り寄せて姉に食べさせてみる手もある。

今のねえちゃんの足の事は聞かないで欲しい
もう良い歳なのであるから……武士の情である

ただグーでやられた事は
忘れていない…