犯罪などとは無縁の山里。
外出の際、鍵をかける家屋などは皆無であるし、第一に住民のじいちゃん、ばあちゃんは
「盗られるものなど何もない」
と笑う。
「でも、じいちゃんを盗られたら困るやろ」
ばあちゃんに問うと
「それを一番盗ってほしいわ」
と、ばあちゃんは冷たい表情で言う。
世間話から思わぬ深みにはまる事はままある。この深みに一度はまると大変厄介で、おじいちゃんのおやんちゃ遍歴やら家族構成はもちろん、親類一族、一族郎党それらの家庭不和から慶事まで一切合切が耳に入ってしまう。
じいちゃん、ばあちゃんの茶飲み友達として、そんな家々を日々回っていると、聞きもしないのにその種の情報が集まって来るのだ。
しかも、じいちゃん、ばあちゃんは集落内の他の人にはそれを話したりしない、他所から来ていずれ去る人のであるとの前提からか、勢い舌が滑らかになり
「これは、あんただけに話すんやで、あんただけや」
などと熱っぽい眼差しでばあちゃんは私を凝視する。
米寿の情熱をそのまま受け止める度量など私にはないのだし、そもそも何も聞いちゃいないではないか。
断われない状況下で、比較的立ち入った家庭の情報を淡々と、しかし切々とばあちゃんは語る。
浮きつ沈みつする茶柱を遠い目で見ながら、この時間の終焉を心から待ち望むのだが、ばあちゃんの話は第二幕、第三幕まである。
結果、日を改めて数日に渡るドラマが展開されるのであるが、ばあちゃんの方でも前回どこまで話したのか記憶が定かではない、そんな時は
「じいちゃんが四回目の浮気して、舞鶴の女に入れあげた所までやな」
などと水を向けると
「ああ、そうやったわ」
と、この女優は戯曲の世界へ自らを誘い、過去に身を浸すのである。
おそらくは私に語る体を取りながら、自分自身へ語っているのであろう。それは自らのそれまでの確認作業なのかも知れない。

私にはそのような顧客が常時五〜六人いる。
茶話ついでの由なし事が由なし事では済まなくなるのが常で、お年寄りは話す事がある程度の精神開放に繋がっているのだとしたら、私の存在もあながち無駄とも言えまい。
長い時にはお昼に開演して、第一幕が終了するのが夕方になる事すらあり、忍耐と根気と辛苦に耐えうる心の有り様が必要である事は言うまでもないし、更に言えば賞味期限切れのおやつに対する胃腸の耐性も必要である。
お年寄りとは、男を心身共に鍛え上げるのである。

さて、前置きが相当に長くなったが、私はそうした家々の防犯対策をも担っている。
前述の通り、窃盗やら暴力沙汰やらの直接犯罪が発生する事は皆無であるものの、この時代である、お年寄りと言えどもスマホを所有している。
と、なればネットを経由した犯罪や、或いはもう古典とも言ってよい特殊詐欺に巻き込まれるとも限らない。
そこで集落のサイバー犯罪担当カタシが各家々へ赴いてお年寄りにレクチャーを施すのである。
レッスン1としては、私がターゲットのお年寄りに区長宅の防犯センターから電話をかける。
「オレオレ、ばあちゃん?分かる?」
ばあちゃんは
「ああ、○○か?」
などと応えてしまう。これではダメだ。
早速ばあちゃんの家に出向きレッスンを始める。
「ばあちゃん、自分から誰かの名前言うたらあかん、できたら合言葉を作っておき、なんやややこしい事を言い出したら、こちらから電話する言うてすぐに区長か僕に知らせるんやで、ええね」
これを定期的に行い、その都度の対応を見極めるのだ。合格できないお年寄りには何度でもレクチャーするし、場合によっては着信の制限もする。
そしてある時は
「カタシちゃん何や当選した言う通知が来たで」
とか
「税金が戻ってくるらしいわ」
などと言い出して私を緊張させる。このような鄙びた土地にも通信機器を通じた犯罪は入り込んで来るのだ。

ある日、あるじいちゃんから連絡があり、件のじいちゃん宅に急行する。
「カタシちゃん、これ見てえな、4,800円の請求やて、何やろか」
見ると、携帯料金との合算請求である、じいちゃんの許可のもと携帯会社の個人ページにアクセスして請求詳細を見る
「じいちゃん……エッチな動画を買ったやろ」
「あ、あれな、なかなか良かったで」
「良かったやないやろ、四本も買ってるやないか」
「ちがうがな、四本買ったら一本おまけになるんやがな」
「もう、知らんわ、じいちゃん」
じいちゃんはサイトにアクセスしてアカウントを作りパスワード設定までしているようだ。
どこからそんな知恵が湧くのか、そして知恵があるようでその後の対応が疎漏過ぎるではないか。
本当に疲れるじいちゃんである。

特殊詐欺・サイバー犯罪を未然に防ぐ為、日夜、目を光らせるカタシ。気を抜く暇はない、サイバー犯罪に都会も田舎もないのだ。

日々新手の詐欺が増え続ける昨今、例えばばあちゃんの元にアメリカ海軍のパイロットを名乗る男からアクセスがあり、ばあちゃんがそれに熱を上げてしまったらどうするべきか、どのように対処し撃退し、且つばあちゃんをどのように説得するか。
詐欺犯と私の戦いは続くのだ。

国際ロマンスより、集落内のロマンスの方が安全なのである。