山里の五月。
今年は少しばかり集落の様子が違っている。
この春より二組もの家族が新たに移住してきたのだ。
どちらも父母と子の三人家族。子はそれぞれ三年生の男の子と一年生の女の子である。
家族の一組はこの集落にもともと住んでいた人の遠縁だと言い、もう一組は全くの新移住者で、住まいも相当な手直しをした。
無論、と言うか、この二組の移住家族の決断には区長の暗躍があったのは言うまでもない。
初期のコーディネートから、現住民への根回し、小学校の受け入れの打診と通学方法の検討、なんと言っても最寄りの小学校まで車で30分かかるのだ、難問の一つと言ってよい。
文字通りの東奔西走。あの薄毛は本当によく働く。

たった二人だけれど、集落から子供の声が響くのは大変に良いものだ。
集落が息を吹き返したように見えるし、山々の新緑と相まって、集落に新たな命が芽吹いているように見えるのだ。
彼らの幼少期に於ける良い思い出になるべく、このカタシの責任も重大である。
もとより、お子ちゃま達のエンターティナーとして定評のある私。無論、あれは京都のお街の子であったが、子供の笑顔に都鄙の別はあるまい。
彼らにとってパパの次にかっちょええ男の人となるべく、私は芸の研鑽を積むのだ。

この4月に集落の現住民と新住民との簡単な顔合わせがあった。
世の中では移住者と現住民との軋轢やら、確執やらが漏れ伝わる集落もあるやに聞き及ぶけれど、双方の意思疎通と互いの尊重が何よりも大切であると区長は心得ている。こうした小さな交流が肝要であると、薄毛の内部に搭載されたAIは最適解を出したに相違ない。
生憎、私は街にいてその場に参加できなかったので、改めて今回、区長共々挨拶に赴く。
何と言うか、子供達の笑顔や屈託のなさ、はにかみと緊張はいつの時代も変わらぬものだと感じたのだが、一番に驚くのはパパやママのオサレ具合である。
昭和のあの頃、授業参観のお母さん達と言えば、黒と紺と灰色でだいたいの説明がついたものだが、この二組のパパにしろママにしろ、そのファッショナブルさには目を見張るものがある。
もちろん話をしても感じの良い、屈託のない、謙虚で、明るい夫婦であった。
二組の夫婦が共に言うのには、この集落の行事などには積極的に参加させて頂きます、との事で、区長のAI人選の確かさにはほとほと舌を巻く。

お子ちゃまエンターティナー
カタシ
この連休中に子供たちと何をして遊ぶか 
目下、思案中である