育った環境、或いは住む場所によって人の距離感覚や任意の場所を指し示す言い様に違いがあるものだ。よく知られているように、京都では北へ行く事を上がる、南へ行く事を下がると言う。
これは京都が南方面に向かって緩やかに傾斜しているからで、それが故に鴨川も南へ流れている。
更にそこへ東入ル、西入ルなどと言い、通りの名前を加える事で凡その場所は掴み得る。
「寺町の通りを上がって、二条のとこ西に入ってちょっと行ったとこや」
こんな具合である。
これが広い平野育ちの人になると、東西南北が頻繁に出て来る。
「○○町の西の方」「名古屋のちょっと北の方」
平野の人は大変におおらかと言うか、最初に漠然とした位置関係を示して、それから更に詳細な説明がある。
更に都会の人ならではの言い回しの一つとして、駅の距離感覚がある。
最近、大変洗練され、かつ都会的な言い回しだと感じたのは、ある人から聞いた
「一駅半」という言葉である。
その人は使い慣れた、大意のない、言葉のつもりであったのであろうが、都会の中での身体的な距離感覚を言い表す語として、一駅半とはまことに言い得ていると思う。キロでもメートルでもない、この詩的な感覚は、もちろんその人の心の様子と符合していると思うし、都会の生活も感じさせる
「一駅半の小さな散歩旅」だとその人は言ったのだけれど、情緒的でありながら、ある程度正確な距離とが了とできる見事な言い回しであると思う。

翻ってこの山里では距離自体がさほどの意味をなさない。集落の規模がそれほど大きくないせいもあるが、たいていの場合は、お社の向こうまで、とか、湧き水まで、とか、○○さん宅の先まで、とか、風趣はあるものの大雑把で正確さに欠ける言い回しが多い。
この集落を俯瞰して見ると楕円形を上下から押し潰したような、言うなれば尻尾がない魚のような形をしている。
非常に特徴的なのは集落の住民居住地と田畑等の耕作地とがはっきり分かれている事だ。
つまり、田畑が所有者宅の周りを取り囲んでいるのではなく、密集しためいめいの居住地から田んぼなり畑なりへ歩いて行くのである。
これは中世以来の惣村の名残りではないか。惣村とは室町期を中心として主に畿内に栄えた、領主に年貢を納める代わりに村の自治権と自衛権を認められた村という意味である。
自衛という意味に於いては個々の家々がまばらに散逸しているより、一箇所に集まっていた方が都合が良いのだし、田畑にしても水の供給などを考えれば一箇所で管理する方が都合が良かったものと思われる。
集落の手前には細い旧道があり、この道は集落の中心に入る前に左右に分かれ、旧道は右に緩やかに折れて行くのである。左に折れたならば集落の真ん中を貫く道となるのだが、往時は村人のみが村に入れたに相違ない。
通行人は右へ折れる旧道に沿い、魚の形の背中側、つまり集落の東を通行したと思われる。
このような道の分岐点は異界との境であり邪なものが入ってくるとされて、そうした場所には必ず結界の為の祠や道祖神が設けられていたりする。
この集落にも村に続く道と旧道との分かれ道には祠が祀ってあり、区長などが管理をしているのだが、この集落が少なくとも中世以来、数百年単位の歴史がある事は想像に難くない、そう思うとあの区長も
何やら由緒正しい人に思えてくるではないか。

この集落には駅はない。今もかつてもなかった。
この集落の人に、街中の一駅半の距離感覚は分かるまい。
山があり、川があり、橋があり、社があり、寺があり、そして生活する家々がある。
それで十分であるし、都会的な洗練はなくても、山里の風景はそれだけで詩になりうるのだ。

明日は
一山半の散歩をしてみよう