皆様、私のブログ数もまずまず増え、整理を兼ねて定期的に初期の作品を増補し再掲したく存じます。
ご常連の皆様には甚だ心苦しい事ながら、何卒宜しくお願い致します。

あっ、カタシのやつ手を抜きだした!
などと申してはなりません

この時期は山里で執筆はもちろん、野良仕事、集落のお年寄り宅の訪問とよもやま話、山の清掃活動、柴犬ゴロー兄さんから害獣対策の指導を受け、ニワトリに追いかけられたりとカタシはフルに活動しております。
一日を終えるとこの私が、この私が、女性たちに連絡を取る事すら能わず夢の世界へと参るほどの次第。
くれぐれもご理解を賜りますよう。
切にお願い申し上げます。



『出町の陣』

このような時代であっても、たとえ364日をジェンダーレスの標榜者で過ごしていたとしても、この1日は男であらねばならぬ。益荒男でなければならぬのだ。年来の遺恨、晴らさでおくものか。
京都、出町、出町橋下の賀茂川河原、タネ源さん家屋を頭上に仰ぐそのベンチこそ決闘の舞台である。
思い起こせば遠い学生の日、麗らかな秋の日、私は恋人と共に件のベンチにあった。
秋の陽はまことに心地よい、夏の陽はどこまでも景色や賀茂川の水面を鋭く描き出すのに対し、秋の陽は穏やかに景色の輪郭を映す。
橙色した光を透かしてあらゆるものが鷹揚に心に馴染んで投射される。
彼女は同い年。断定的な関東弁で話す、大きな瞳が特徴的な綺麗で利発な人だった。
対する私にも若さがあった、今よりおそらくは1割増しのイケメンであったとしておこう。…しておいて下さい。
ベンチに座った彼女はやおら弁当を取り出し、微笑みつつ、朝から作ったのよ、と差し出す。
エビフライ、唐揚げ、卵焼き、そして赤ウインナーのタコさん。
周囲の人々の嬌声は耳に届かない、幸せで暖かな彼女との時間、私は時に溺れていた。
すると、刹那、空から焦げ茶色した飛来物が私の頭をかすめ、彼女の膝に置いてあった弁当箱を弾いた。
孤を描いて飛ぶ唐揚げ、なぜか土手の雑草の緑と絶妙な色のコントラストを見せる卵焼き、遠くまで飛ばされた赤いタコちゃんは茶色に連れ去られて行ったし、エビフライは海にではなく、川へ帰って行った…
トンビだ。トンビの仕業だ。怯える彼女をなだめながら、橋に避難するとトンビたちが散乱した弁当を啄んでいる。
 
それが遠いあの日の出来事、ほどなくして彼女は男の元を去り、それから数年して人妻となりママとなった。
あれから数十年の年月を経て男はやにわに復讐を思い立ち、いま出町橋に立つ。
目を凝らせば、いつもの様にふたばさんへ豆大福を求める人々が行列を成している。
戦いの前の静かで平和な光景。いつ破られるとも知れぬ平和と平穏の隣り合わせで人は日常を営んでいるのだと、行列の皆様には知って頂こう。

男が未だ独り身でいるのはトンビの呪いのせいではないのか、そもそもあの彼女にフラれたのはトンビどものせいではないのか、言い掛かりでも何でも良い、責任転嫁と言う名の復讐を果たすべく、男は出町橋に帰ってきた。
復讐と言っても彼らは野鳥である、私が彼らに襲われても、私を保護する法はないのだが、彼らは鳥獣保護法で守られている、捕獲、或いは危害を加えなどすれば罰せられるのは私なのである。
あな、やんぬるかな、さすればトンビの飛来から私のおやつを守れば私の勝ち、持ち去られれば私の負けとしよう。
令和五年冬、出町の陣、いざ。
古来よりの出陣の吉例に倣いて宴を催さねばならない、勝栗の代わりに甘栗むいちゃいました、アワビの代わりにホタテ貝ひも、昆布はもちろん都こんぶ。
そして奴らをおびき寄せる餌としてファミチキ。
これらは戰場近くのファミリーマートで購入できる。
戰場は賀茂川河原、時は来たれり。男は昔日の無念を胸にそこに座る、彼らは糺の森の方から私を見ているに違いない、八咫烏は神さんの使いであっても、八咫トンビとは聞いた事がない、よもや私に下鴨神社の神罰が下ろう筈はない、神は強者を愛でるのだ。
「いでよトンビ」
ビニール袋より取り出したるファミチキを肩の高さまで掲げると、近くを飛んでいたトンビが距離を詰めて来る、気配を感じながら、目で見ぬようにし、更に高く手を掲げると猛然と彼は飛来してきた。
羽音もないままのギリギリまで距離を詰めさせ、その瞬間ファミチキを口に頬張る。
急ブレーキのバサバサと鳴る羽音、地面スレスレまで落ちて彼はまた空へ羽ばたいて行った。
勝った。男は勝ったのだ。
手で覆い隠しながらファミチキを完食し、出町橋で勝どきを上げる。
やり切った男、冬なのに爽やかな汗、コークのCM出演、いまならOKだ。

これほどの激戦が行われたにも関わらず、街は日常そのものである。
ふたばさんの行列、自転車の人、歩く人々、賀茂の水は三条に向かい、糺の森から緩やかに風は渡っている。
戦いの中に無常を感じ取った熊谷次郎直実のように、空虚さが私を包み込む。
復讐を果たしたとは申せ、日常は何ら変わりなく動き続け、これからのちも永永と流れ出行く事であろう。
私が常日頃感じていた悔恨は、この賀茂の水の一滴にすら及ばないに違いない。
虚しい、全ては虚しい、彼女は家庭を築きママとなり、今日を関東のいずれかで暮らしている。
片やこの私は年月を経すぎた20歳として変わぬこの場に立っている。
戦いののち、熊谷次郎直実氏は虚しさのあまり出家をした。

それでも、そうであっても煩悩の塊たる私に

その気はない
許せ