法律的には一分の隙がなくとも、道義的には相当の問題を含む事象が世の中には存在する。
これは法律と言うものが事象について常に後追いで制定される事が一因であるし、細分化された事柄については、それぞれ各自の良心やら道徳心やら、倫理やら、矜持やら、不文律やら、暗黙の了解に任せられているからでもある。
畢竟、人は物事に対して善を見いだすと、相当な悪事を為すのである。
逆説的に、大義名分を与えてやれば人を悪魔に変える事は容易い。
「でも、法律的には何ら問題ないですよね」
とは思考停止した悪魔の言い分である。

一瞥して分かりにくいものの、コンビニには大きく分けてオーナー店舗とコンビニの地方本部が運営する直営店とがある。
直営店は元オーナー店であった物件を地方本部が買い取り、そこを直営店として自社社員を送り込み、店長、副店長とし、パート従業員を現地採用するのである。
コンビニに正社員として入社すると、直営店の副店長→直営店の店長→特定地域でのオーナー店管理職
の道程を踏む。
即ち、直営店は入社間もない若い社員のトレーニング店舗の側面を持つのだ。

私が行きつけにしていたコンビニもそうした直営店であった。
自宅から最寄りのコンビニではないものの、その直営店は接客が良く、明るく、何よりパート従業員さん達が素敵な人々なのであった。
足を伸ばしてもそのコンビニに行く価値があると思わせる、そんなコンビニであった。
パートの中心はMさんと言う、50代の女性でこの人が若いパート従業員さんへの指導やら、一部商品の発注管理、副店長、店長の悩み相談など、この店舗の縁の下の力持ちとして活躍している。
「カタシくん、おはよう、新しいあまあま入ってんで」
「カタシくん、いまフライヤーのフェアやねん、お願い、お願い、協力してえな」
その会話と言い、笑顔と言いじつに上手い。こう言っては失礼ながらコンビニには勿体ない人材なのである。
ときおり
「カタシくん、この前連れてた女の子とはちゃうねんなぁ」
などと、わざと大きな声で言い私を困らせるけれど、この人につられるのか、他の従業員さんも接客と営業は一級レベルで、フェアの際には相当高いノルマを課せられても、悉くこれをクリアするばかりでなく、地区はもちろん、この地方に於いてすら一番二番を争う超優良店なのである。

学校帰りの小学生が
「Mさーん、トイレを貸して下さーい」
などと入ってくる
そして家に帰ったその子があとからママを連れて買い物に来る事もあるし、ママは子育ての事やらもろもろをMさんに聞いてもらうなりアドバイスを受けたりもする。
フェアの際にはそうしたママがママ友の注文を取ってきたり、他のママを連れて来ている。
地域への馴染み具合としてはあり得ないレベルのコンビニで、普段私が知っている無味乾燥なコンビニとは一線を画す、実に素晴らしい店舗なのだ。
私もかれこれ3年ほど通っているのだが、Mさんに限らず他のパートさんとも親しい、ただし副店長、店長さんは出入りが激しく、社内で昇格する人もあれば、辞めて行く人もある。
いずれにしても、このようにパート従業員が優秀な店舗は副店長、店長にとっても相当なメリットがある事は想像に難くない。
実際この店舗で実績を積み、幹部への道を歩んだ人も多いのだ。

だがその日は突然訪れた。
その日、いつものようにあまあまチェックにそのコンビニを訪れると、Mさんが沈んだ顔で私に話しかける
「カタシくん、あのな、ちょっと言い出せへんかってんけどな、このお店もうすぐ閉店になんねん‥」
「えっ…」
と絶句する私にMさんが言葉を継いで
「いや、閉店言うてもな、実際にはオーナー店に変わって営業は続けていくねんけど、その新しいオーナーは今現在売り上げが伸びない店舗を経営してはって、その店を引き払って、新しくこの店の権利を買ってんや」
「……」
「それで、前の店舗からパートさんを全員引き連れて来はるから、私ら居場所ないねん、全員解雇やねん…今までほんまにありがとうね」
ここまで聞いて、だいたい直営店とされる店舗のシステムが朧気ながら分かってきた。
つまりMさん達は、この店舗の資産価値を上げる為に協力させられて来たのだ。
売り上げ不振か否か、様々な理由はあろうが止めるオーナーから店舗を安く買い取り、その店を直営店として売り上げを伸ばし資産価値を上げて、新しいオーナーに高値で転売するのである。
つまりパート従業員さんは売り上げに貢献すれば貢献するほど、職場を失う日が近くなるのである。
新オーナーには
「こんなに売り上げがある優良店舗です。お買い得ですよ」
などと説明しているに違いないのだ。本当に暗澹たる気持ちになる。
こうしたビジネスモデルもパート従業員への対応も、法律的には全く問題はない。しかし道義的には相当の問題があるのではないか。
安い時給で働かされて来たMさん達、Mさん自身は、もう怖くてコンビニでは働きたくないと口にする。
優秀な人材ですら、駒としてしか扱わない企業風土、儲ける、稼ぐ、とは一体何の犠牲の上に成り立っているのだろうか。

僭越ではあったけれど、解雇となったパート従業員の数人は私の友人の元で働く事となった。
私も友人に自信を持って薦められる人たちである。紹介して鼻高々である。
企業の力とは人の力ではないのか、人を軽視する企業は結局凋落の憂き目を見る。
集金媒体としてしか会社を考えない経営者、それを思い私はますます厭世観を強くするのだ。

エースのMさんはショックのあまり暫く働きに出られないと言う。
彼女に相応しい場所で、彼女が再び輝ける手伝いができたらと、私は協力を惜しまない。
成功すべき人材が成功できないで無聊をかこつ社会のなにが正義であろうか。

あの店舗に通わなくなって数ヶ月が経過した。聞けば大幅に売り上げを落としているらしい。
店の雰囲気も並のコンビニと何ら変わらないようであるし、Googleの口コミでは厳しい評価となっている。
ああ、思えば新オーナーも被害者なのだ。
新しいオーナー店がどうであれ、コンビニ本体はどちらに転んでも利益が出るようになっている。
そんな気持ちから久々にそのコンビニに行くと、以前はなかったような酸化した油の匂いが酷い、店員さんは淡々と課せられた仕事をする。
モノを売る、モノを買う。介在するのは金だけの関係である。

帰りの道すがら
ふと路傍に目を遣ると
黄色い可憐なカタバミの花が咲いている
風に揺られて咲いている
揺れるさまが
私に手招きするようで
私は暫し傍らに引き寄せられる
路行く人々に一顧だにされなかった
黄色い花
輝く心と言う言葉を持っている
黄色い花

輝く心は道端にもある
目を凝らして
路を行けば
輝く心は辺りに満ちている
黄色い花を見つけられないのは
路の真ん中ばかりを見ているからだ
風に揺れる
黄色い可憐な花
自分がなぜ可憐で美しいのか知らずに
咲いている

見つけられる人がいたなら
咲く花は
もっともっと輝けるのだ