物書きなどと言えば、大層な事をしているのだと、嬉しい誤解をして下さる方も多いのだけれど、少々遡りそもそもを考えるに、物書きとは文書の記録係ほどの意味で、特に武家社会にあってはやや軽輩の謗りを免れない。
つまり現代風には書紀さん、記録屋さん、という具合で、大層な事を為す人ではなく、大層な事を記録する人を言った。
しかも私などは物書きの梅である、松はもちろん竹ですらないのだ。
従って偉そうにしていられる所以など皆無なのである。
だが、そのような私ですら、何事かを書くのには深夜の静けさが相応しいなどと、昼夜逆転の生活を送り、万年時差ボケを職業的な拠り所とする、お目出度いと言えばこれに勝るものは無かろう。

夜は様々がある。私は少しだけ知っている。
お父さんがお母さんの隣で業務課に新しく来たあのこの夢を見ているとき、またお母さんがお父さんの隣で夕方にほんのり疲れが溜まり、少しだけネクタイをラフにして微笑んだ、あの人の夢を見ているとき、その同じ頃に私は物を書いている。
風の声、それに翻弄され乾いた音を奏でる放逐されたペットボトルの音、反響し方向がつかめない遠い救急車の音、テレビは環境映像を見るようだし、冷蔵庫は昼間より勇ましく仕事をしてるような勘違いをする。
どのような仕事にも苦労はあろう。私にも煮詰まり何一つ出てこない時間がある。おそらく気持ちも散漫になっているのか、急に空腹を覚える瞬間があるのだ。
そんな時は気分転換を兼ねて深夜の味噌汁作りに勤しむ。
もっと大掛かりなものを作らないでもないが、何せ深夜であるし、そのような時間に食べても腹に優しく、かつ太らないものを選択すれば、自ずと味噌汁が候補に上がるし、味噌汁ならばある程度作っておいても後々困る事はない。

私は以前、無添加天然素材ばかりの食材で日々を過ごしたならば、生活一般と身体がどのような事になるのか実験を敢行した事がある。
当然と言うべきか、一番の影響は食費の異常な上昇である。そして料理を作る時間がやたら長くなる。
鰹節を削る、昆布と合わせる、そして一番出汁に二番出汁を取る。出汁を加えてあれを炊く、同時にあれを焼く、とてもではないがやっていられない。
それで出来上がったものと言えば、それは不味くはないものの、既製品で感じる一口目からのガツンと来る旨味がない。もの足りないのだ。
昆布を羅臼に変えるとか、利尻に変えると言ったレベルではなく、どれであっても圧倒的に物足りなく感じる。
要するに、既製品の味に私の舌が慣れすぎてしまい、いざ本当に良いものだけで作った料理に舌が旨いと応えてはくれないのだ。
白ける思いではあるものの、我慢してそんな生活を一週間ほど続けると、不思議な事に何となく分かって来る、あっ旨いな、と思えてくる。
そのような時に以前口にしていた既製品を食べると、これはやたら味が濃くてどど辛くて、食べられたものではなかった。
これは私が特別なのではなく、誰しもがそうであろうと思う。慣れとは本当に怖ろしい。

ともかくも、味噌汁。
以前のような徹底はできないものの、花かつおや昆布を使い、それなりに手間をかけて作るのであるが、これにはいくつか訳がある。
出汁を合わせ馴染ませている間、盛大に換気扇を回し、かつフライパンで細かく刻んだ出汁がらを炒るのである、これを味付けすれば、ふりかけになるのだが、この場合は味付けをせず、ひたすら炒って水分を飛ばすのだ。
出汁に具材を投入し、火が通るまでの間、今度は炒った出汁がらを団扇か夏ならば扇風機で冷ます。
これが重要なのだが、この間換気扇は回しっぱなしである。
すると味噌汁作りの3回に1回ほどの割合で、居間の窓枠をカリカリ音を立てる者が現れる。
そう私の友人、キジトラネコの玉三郎である。
玉三郎とは私の家での源氏名であって、彼はあちこちの家に出入りし、かつ飼われているれっきとした飼い猫であるのだが、それぞれの家から出たあとは、それぞれの家でその行方を全く感知していないと言う大変に羨ましい生活を送っている。
つまりそれぞれの家で源氏名があり、おそらくは相当に可愛がられながら、この町内を縦横無尽に渡り歩いているのだ。
私の家にやって来るのは、その出汁の香りにつられたからで、ただ私が他の家と違うのは深夜のディナーをご馳走はしても、彼を泊めたりはしない。
その辺りはお互いが暗黙の了解として分かってもいるし、ディナーが終われば彼は何れかの家に帰って行く。
誇らしげに赤い首輪を付けた玉三郎。
窓を大きく開けてやっても決して中へは入らない。友人として侵すべからざる領分を彼はわきまえているに違いないのだ。
予め用意してあるキャットフードに出汁がらを混ぜて、皿に分けて彼に与えると、まるで新喜劇のめだかちゃんのように食べる。じつに可愛いやつである。
食べ終われば私に
「ニャッ」
とだけ礼を言い、いずれかに立ち去って行くのだ。
「僕がピンチになって鈴を鳴らしたら、君は助けに来てくれるかい?」
と心で問うが返事はない。案外彼はニヒルなのである。

私は私で味噌汁を食べ、ウンウン唸りながらも何事かを数枚書き上げた頃、夜が白んで来る。
その頃玉三郎はいずれかで寝床に入ったに違いない。
あちこちの寝床に入るなんて何度考えても羨ましい限りだ。玉三郎、数日で良いから代わって欲しい。

日が昇る。
お母さんはお父さんの夢の事を
また、お父さんはお母さんの夢の事を
そして玉三郎の事ももちろん知らずに
1日が始まる

夜には知らない事が幾つも起こっているのである。