普段の私を知る人によれば、私はおっちょこちょいでどこか抜けているらしい。
そうだと思う。私もそう思うし、だからといって気を付けたいと思ってはみても、それを特段直そうとは思わない。
最近ではおっちょこちょいが過ぎるとADHDなどと分類され烙印を押されてしまうらしい、私がおっちょこちょい世界で松竹梅のどの位置にいるのか知れないが、私にとっては自身も他人も忘れものがどれだけ多かろうが、おっちょこちょいである事に変わりない。症候群付きで人を呼ぶ事はしたくないのだ。

私などはコンビニのレジでスマホがないのに気づき、更には財布までないのに気づく事がある。
これは私の生来の癖によるものか、私の内に巣食うおじいちゃんの影によるものか判然としないのだけれど、何度冷や汗をかき、店員さんに苦笑いを見せたか分からない。
そもそもが財布はともかくとしてスマホの類は持たなくて済むならば持たない方が良いと常々考えているので、結果に於いて家で留守番させる事もしばしばなのである。

誤解のないように言えば、私にはスマホが絶対必要である。
仕事の連絡、ネット、今まさにブログを書いてもいるし、デートの約束も、店の予約も、スマホなしでは全てが成り立たない。
と、するならば、たとえスマホなしでも生活の全てが上手く回っていく状況こそは現代に残された最後のブルジョワジーと言えるのではあるまいか。
かつて、開高健さんは現代のブルジョワについて、電話がかかってこない静かな生活を維持できる事。という意味の事を言った。
言い得て妙だと思う。スマホはいつでも誰かに連絡を取れるが、この裏を返せば、自分も24時間誰かから連絡を受ける属性の人間である事に他ならないのだ。
使う人は使われる人と言う寓話的展開が自分の持ち物によって繰り広げられ、更には自分の属性について思い知らされる事となるのだ。

セレブなる言葉が持て囃されているけれど、そのセレブの中でどれだけの人がスマホを持たず出来うるだけ静かに生活を営んでいるか、おそらく皆無ではあるまいか。
現代のブルジョワジーは貴族的デカダンスと共に消滅しつつあると言ってよい。
ロールスロイスであろうが、タワーマンションであろうが、オーデマ・ピゲであろうが、宇宙旅行であろが
「あっもしもし」
とやった瞬間に貴族的退廃ブルジョワとしては霧散崩壊するのである。
彼が属するのは大金持ちになった一般人と言うカテゴリーで、つまるところ現代ブルジョワの構成要件として金は十分条件であっても絶対条件ではないのだ。
もし、スマホが無くても、そして特段豪華とは言えなくても、普段どおりの生活を何不自由なく営めるとしたならばそれは現代のブルジョワであると言えるのではないか。

かつてこんな人に会った事がある。
その人は他人からロードと呼ばれる。日本風に言うならば卿である。
住まいはシェフィールド近郊に広大な敷地と屋敷を所有しているし、ロンドンとパリ、ミラノにマンションを所有している。
かの地で言うマンションとはフロア全てを自宅にしているか、建物全てを自宅にしているものを指す。
マン島とマヨルカ島、モナコに別荘があり、冬はシャモニーのオテルを貸し切りでスキーを楽しむらしい。
使用人は「わりと」いるらしいが正確な数は把握していない。
その辺りは8人いる執事に任せてあるからノータッチだし、収入についても全ては把握していない。
もちろん働いた事はないから、働く事について最近興味を覚えた。
そして彼は極めつけの言葉を告げる
「携帯電話など使えないし興味もない、財布やカードも持たない。用事は執事たちが済ませてくれるし、それが彼らの仕事だ、彼らの仕事を奪うのは罪悪であるから、私は何もしないのだ」

25歳カタシを圧倒したこの人物、こうした妖怪がロンドンやパリには稀に存在する。
幸か不幸か、この種の妖怪を数回間近に見たおかげで、現代巷間に言われるセレブには全く臆せず卑屈にならずに済む。彼らはどう見ても私と同じ人間そのものである。
違うのは財布の分厚さだけであるが、自らの資産すら把握していない妖怪を見てしまえば財布の厚さなど些末な事に思えてしまう。
財布の分厚さは悪くない。が、財布が分厚くても妖怪にはなれない。イーロン・マスクですら、品位と矜持の点で妖怪にはなれないのだ。
ノブレス・オブリージュと言ったりするけれど、資産がある事、特権階級である事は自らの品位と国家に対して責任がより重いのである。
呑気なようで貴族さまは日々研鑽を積まねばならないのだ。

いかに資産があろうと、高級車に乗り、高級品を身につけようとも、人に敬意のない振る舞いをすればその人は高級ではない。
残念ながら、我が国は高級ではない人が割合に多いようだ。金があるが為に人品骨柄が卑しくなったのだとすれば、これほど皮肉な事はないではないか。

♪買い物しようと町まで 出掛けたら
財布を忘れて 愉快なカタシさん♪

ちっとも愉快ではない。
セレブさんには臆する事はないけれど
財布やスマホを忘れてしまっては店員さんに恥ずかしくて申し訳なくて
冷や汗やら、動悸やら

財布が軽い紳士も
呑気なようで日々大変なのである。