我が家は本家から分かれて、隠居家として別家となったが、その当主が鹿島田の榎本家から婿入りして、明治時代の藤兵衛さん後妻の娘のナヲさんと結婚した長吉さん。

15年くらい前までは普通に営業していた小倉の米穀店や近隣のアパートにその名の一部が残っており、私の父も幼い頃に会ったことがあり、私にとってもようやく多少のイメージが湧く最古の祖先(曽祖父)でもある。

この長吉さんとナヲさんから戸籍が残っており(藤兵衛さんより以前はなし)、長吉さんの父親は榎本万次郎さんの弟惣兵衛さんの4男だった模様。

鹿島田の榎本家といえば浄蓮寺の縁起に出てくる天正年間の榎本宗本がおり、浄蓮寺の榎本家の墓誌にも宗本の名が記載されている程の古くからある家のようだ。

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榎本万次郎さんは宗本から続く本家とは途中で分かれた分家の幕末から明治期にかけての当主のようで墓誌にもその名が記されている。

その先祖は墓誌から江戸時代前期まで遡ることができ興味深いが、その辺はまた色々調べて見たいところ。

ちなみに長吉さんの父の惣兵衛さんは墓誌にその名が見当たらず。

浄蓮寺には榎本家の墓がいくつもあるのでそのいずれかだとは思うが、特定はできていない。


この長吉さんはその名が残っていた米穀店を営んでいたのだろうが、その米穀店の創業が長吉さんなのか、藤兵衛さんなのかは分からない。

仮に長吉さん創業だとしても、父である藤兵衛さん主導であったことは間違いないだろう。

隠居家の家計が成り立つように、藤兵衛さんが支援して米穀店を創業させたんじゃないかと推測している。


米穀店といえば、川崎貝塚にある今でも営業している成川米穀店という店があるのだが、どうも本家は小倉にあったらしい。

川崎の米店が創業88周年の「米寿」 記念イベントでおにぎり88円販売も川崎駅東口の貝塚商店街にある成川米穀店(川崎市川崎区貝塚1)が、創業88年の「米寿」を迎えた。リンクwww.google.com


これは長吉さんの子供が貝塚で創業したのではないか、と推測している。

1929年といえば長吉さん57歳。

長男の敬義さんは1898年生まれだし、父の藤兵衛さんは1910年に亡くなられてるから、長吉さん以外は考えにくい。

敬義さんは小倉の米穀店を継いでるから、次男以降で子供が独立した年齢として当時としてもおかしくない。

ただそれが誰なのかがよく分からない。

長女のフジさんは藤三郎さんの三男重吉さんと婚姻(従兄弟同士)しており、次男の要之助さんは幼少期に亡くなり、次女のレンさんは八木下家に嫁ぎ、三男の芳郎さんは私の祖父、四男の英吉さんは1944年に戦死しているので、明確に貝塚で創業しそうな子供がいない。

可能性としてはフジさんと重吉さんかもしれないが…ちなみに藤三郎さんの跡継ぎは恭輔さんで、成川米穀店の創業者の孫は恭代さんという方なので、もしかしたらもしかするかも。


ナヲさんは1929年11月7日に57歳で、長吉さんは長命で1952年12月25日80歳で永眠。

本家との関係はフジさんと重吉さんの婚姻で改善したのだろうか?

ナヲさんな足跡は全く分からないが、苦労多き人生だったのかもしれない。

長吉さんは鹿島田の有力一族の分家の分家の四男坊として明治初頭に生まれ、婿として嫁いだ先で米穀店を経営し、敗戦を経て戦後復興を見届けることなく亡くなったが、平成の世までその名を残せたのは、それなりにやり手だったのかもしれない。