「衆院解散はいつあるの?」と聞かれることが多くなりました。菅総理の発言を聞く限り、新型コロナはじめ優先課題への対応に注力する方針で直ちに解散選挙を行うことには慎重のように受け取れます。内閣の人事をみても、その分野の専門家が集う「仕事師」布陣です。しかし、解散のタイミングばかりはいくら考えても分かりません。解散は総理の専権事項であり、一度決断をされたら、我々は全力で闘うしかありません。
 
ただ、冒頭のような質問を受けた時、夏までは「やれないし、やるべきでないでしょう」と申し上げてきましたが、安倍前総理が退陣し菅総理が誕生した今、「やるべきでない」とも言えなくなったと考えます。総理がリーダーシップを発揮できる力の源泉は民意に選ばれた事であり、菅総理が掲げる「縦割り、既得権益、前例主義」の打破に際し様々な抵抗勢力を押し切るために「総選挙で選ばれた総理」との印籠が必要とされる場合も出てくるかもしれません。総理が代わって新総理がやりたい事について民意を問うこと。それを上回る解散の大義も見当たらないと思います。(同様の理由で、私は前回の総裁選でも党員投票を実施すべきと主張しました。多くの党員から選ばれた総裁はそれだけ党内で正統性と求心力を得るからです。)
 
もちろんコロナ禍で「やれる」かどうかの判断は引き続き残りますし、今後の感染者の動向も見極めなければなりません。ただし、1年以内のどこかのタイミングで選挙は必ず行うわけですし、その間感染再拡大のリスクは常に伴いますから、任期満了含め、いずれのタイミングにせよ、専門家の知見を踏まえ感染拡大防止に最大限配慮した選挙運動を、党を挙げて行わなければならないことに変わりはありません。
解散には大義が必要です。いくら足元の支持率が高くても「勝てるから行う」とのよこしまな意図が見透かされた時点で、政権も自民党も国民から見放されます。コロナという難局の打開を国民から託されている我々国会議員は厳にこうした考えを慎むべきと思います。