大正・昭和史の勉強も兼ねて、筒井清忠帝京大学教授の著書『戦前日本のポピュリズムー日米戦争への道』、『満州事変はなぜ起きたのか』、『昭和戦前期の政党政治ー二大政党制はなぜ挫折したのか』を読了しました。
大正末期、昭和初期の日本は、国内において立憲民政党と政友会の二大政党制が確立され、外交においても国際協調主義(ワシントン会議)の遵守を主張していました。普通選挙や軍縮などが実現したのもこの時期です。しかしながら、この体制も満州事変や5.15事件等を機にわずか数年で一挙に崩壊してしまいました。
その裏には、既存政党によるスキャンダル暴露合戦(朴烈怪写真事件等)や、マスコミによる政党政治を育成するよりも批判・否定する報道姿勢があり、国民は既存政党よりも軍部や宮中勢力といった中立的な‘何か’に期待するようになったことがあると筆者は指摘しています。
歴史は大正デモクラシーから軍部主導で単線的に日中・日米戦争へと向かったのではなく、政治家、外交官や時には軍部の一部も国際協調路線を維持しようと努力したにもかかわらず、行きつ戻りつしながら、満州事変、そして日米開戦に至ってしまった様子が詳細に描かれています。
歴史の出来事は社会情勢の大きな流れに突き動かされたものであることも多くありますが、政治家や外交官ひとりひとりの影響力も無視し得ません。同書には、ポーツマツ条約を締結し帰国した際に息子が殺害されていなかったことに驚いた小村寿太郎全権と、国際連盟を脱退し民衆からの万雷の拍手に迎えられる松岡洋右全権との対比が描かれています。政治家個人の行動の、後世に対する責任の重さを感じました。
そして、現代の政治に引き直しますと、無党派層が増加し既存政党への様々な不満や批判があるのは確かですが、政党政治そのものを否定する人は殆どいません。また、対外的にもデジタル経済への対応、保護主義の台頭や力による現状変更などの国際課題に対して国際協調主義の下で解決を図ろうとしているのも日本政府です。
政治は変えることを望みがちですが、悪い方向にそれも一挙に変わることがあること、そして今ある大切なものを守る見識と勇気をもつことの重要性を歴史は教えてくれます。