本年7月上旬、堀井巌参議院議員・鬼木誠衆議院議員と一緒に、キューバを視察して参りました。

キューバといえば葉巻やラム酒を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、意外なことに、キューバは観光と並び、医師を海外に派遣することによって外貨を調達してきました。社会主義国キューバは医療や教育は無償です。こうした政策の結果、小国であるにもかかわらず、医師の質・量ともに飛び抜けた水準を誇っています。技術に優れた医師を中南米や中東に派遣し、その見返りに安価で調達した資源を他国に転売するなどしてキューバは外貨を獲得してきました。私どもが視察した640床のアメイヘイラス兄弟臨床外科病院も常勤医師数400名、看護師800名を抱え、全世界から医師・医学生や患者を受け入れていました。

そして、観光や医療により調達した外貨をキューバは食糧の購入に充ててきました。これもあまり知られていませんがキューバは日本よりも米を消費する国(一人あたり年間60㎏)です。しかし、米の自給率は55%に過ぎません。産業振興に使われるべき資金が食糧に費消されてきたのです。こうした構造的問題を解決するため、現在、キューバは米などの主食品の生産性を高めるべく、農業技術の向上、品種改良や遊休農地の解放などを実施しています。私たちが視察したハバナ郊外のアルテミサにある穀物研究所でも日本の支援を受けながら、品種改良や農業技術の向上に励んでいました。

キューバは不思議な国です。米国の経済制裁等により物資は圧倒的に不足しています。街中に50年代、60年代のアメ車が走っており、建物もスペイン統治時代やキューバ革命以前のものがそのまま使われています。これらはキューバの魅力の一部にもなっていますが、裏を返せば、新しい車を買い、新しい建物を建てる経済的な余裕が無いとも考えられます。その一方で、生きていくうえで必要なもの、すなわち食糧、医療や教育は政府方針の下、すべての国民に保証されています。街角にホームレスの姿は見かけませんし、格差の無い制度の中で人種・民族間の差別も少ないと伺いました。この点は先進国よりも恵まれていると言えます。良い国なのか悪い国なのか一面では捉えられない不思議な国キューバ。今回の視察で私はそんな印象を受けました。

さて、これからのキューバはどうなるのでしょうか。アメリカの経済制裁の行方に依るところが大きいと思います。キューバは隣にアメリカという巨大市場を抱えていながら、アメリカと交易を行うことができません。また、92年にアメリカはトリチェリ法を制定し、キューバにアメリカの製品や特許を一定割合使用した製品を輸出した企業は制裁を課されることになりました。多くの製品は何かしらアメリカのものが使用されています。企業が輸出品にアメリカのものを使用していない事を立証するのは簡単ではありません。下手にこうした法律に引っかかって米国内での事業が制限されたら、企業は一溜りもありません。こうした事情もあり、日本の企業も他国の企業もキューバへの投資に二の足を踏んでいます。仮にアメリカの経済制裁が解除されたら、労働の質の高いキューバに大きな投資が舞い込むことは間違いありません。

オバマ政権からトランプ政権に代わり、キューバとアメリカの関係は残念ながら停滞しています。トランプ政権はキューバに本格的な経済制裁を下す意思や政治資本は今のところ窺えない一方で、オバマ政権におけるキューバとの和解の方針と異なる政策(Anything but Obama)は今後も取り続けるでしょう。また、キューバ側も、今回の訪問で私たちはキューバ革命でカストロやゲバラと一緒に銃を取った80歳を超える現役政治家に面会しましたが、革命世代から新しい世代に代替わりがなされなければ、キューバとアメリカがわだかまり無く付き合える時代を迎えるのは難しい印象を受けました。

こうした中でも、日本は一昨年に岸田外務大臣、昨年に安倍総理がキューバを訪問し、両国の関係も大きく進展しました。医療、農業やインフラなどで両国が連携する覚書も交わされました。かつてキューバにとって日本はソ連に次ぐ世界第二位の貿易相手国でした。経済関係のみならず、日本外交においても、世界の国々に影響を持つ外交巧者のキューバを味方につけることができれば大きなメリットが生じるのは間違いありません。

 

アメイヘイラス兄弟臨床外科病院の建物。病院ぽくないのは、元々金融センターとして建築された建物を革命政府が接収して病院に転用したからです。

 

穀物研究所内にあったヤンマーの農作業機械です。日本政府の支援であることを示す日の丸がペイントされています。

 

首都ハバナの旧市街は古くからの建物が立ち並んでいます。その街中を50~60年代のアメ車が普通に走っています。

 

共産党本部前にある革命広場。建物には革命の功労者であるチェゲバラとカミーロ・シエンフエゴの肖像画が描かれていました。共産党幹部との面談は残念ながら写真NGでした。

 

日本人で初めてキューバを訪れたとされる支倉常長像。仙台育英学園の寄贈により建立されました。