最初の投稿でお話ししたように、芦部憲法の分かり易い中にも情熱と格調の高さが垣間見える著述は、芦部先生がお亡くなりになって18年経っても色あせることはありません。

 

他方で、現実の政治では、合憲性は勿論のこと、激変する国際社会の中で日本国民の命と財産を守るための国際関係や国際政治の力学にも配慮しなければなりません。憲法学者の解釈通り、自衛隊を違憲とするならば、何をもって国民の生命と財産を守るのでしょうか。この点について、芦部憲法は、「本文に言う結論をとれば(自衛隊を戦力とするならば)、自衛権はあると言っても、その自衛権は、外交交渉による侵害の未然回避、警察力による侵害の排除、民衆が武器をもって対抗する群民蜂起、などによって行使されるものにとどまる、ということになる」(「武力なき自衛権」論と述べています。果たしてこの結論は政治的に妥当でしょうか。外交交渉によっていかなる侵害も未然に回避できるのであれば、とっくに北朝鮮の拉致問題も核開発も解決しています。そして、他国の十分に装備・訓練された軍隊がわが国に襲来した時に治安維持のための最小限度の装備・訓練しかしていない日本の警察に対抗させることが果たして国民の命や財産を守ることにつながるのでしょうか。群民蜂起に期待するなんてもってのほかです。

 

現行の憲法解釈で自衛隊の存在を認めるならば、苦しいながらも今の政府解釈をとるしかないでしょう。だからこそ、国民に憲法制定時には全く想定されていなかった自衛隊の必要性を問うために、今回の憲法改正で自衛隊の明記を論点のひとつとする意義は十分にあると思います。加えて、立憲主義の観点からも自衛隊を憲法に明記する必要性があるように感じます。近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とする基礎法です。その根本法の中に日本の中で最も物理的に強大な力を有する国家権力である自衛隊が一切触れられていない。ましてや合憲性について見解が割れている中で、自衛隊法はじめ関連法律が整備されている現状は望ましいとは思いません。

 

自衛隊を9条に追加した場合に2項の戦力不保持と矛盾するとの意見もありますが、私はそうは思いません。9条に自衛隊が明記されれば、それによって条文全体の趣旨が明らかになり2項の芦田修正の部分(「前項の目的を達成するため」)は自衛戦争は対象としないとの解釈もより自然になるでしょう。そうなれば、9条2項と自衛隊の条文が共存していても矛盾しないはずです。

 

安倍総理が「2020年まで」と期限を明言したのは良いことだと思います。何事も期限を区切らなければ前に進みません。他方で、期限が先にありきで、浅薄な議論のまま改憲を問うようなことは決してあってはなりません。今後、日本国内で充実した憲法議論ができるかどうかは(憲法改正に賛成する立場であっても反対する立場でも)我々国会議員に課せられた大きな使命です。私も皆様と深い憲法議論ができるよう、まだまだ勉強しなければなりません。