去る5月3日の憲法記念日は憲法施行70周年にあたる日でした。安倍総理の踏み込んだ発言もあり、例年以上に日本国憲法に関心が集まったようです。

 

これを機に私も約10年振りに芦部信喜著『憲法第六版』を読み返してみました。法学部生や司法試験受験生が最初に学ぶのが憲法です。そして、憲法の学習で最も読まれている基本書が故芦部信喜先生の『憲法』です。私も大学入学前の今から17年前の春、この芦部憲法を初めて手にしました。当時、大学受験の勉強に倦んでいた私にとって、「基本的人権の尊重」、「国民主権」、「平和主義」といった言葉を目にし、大人の仲間入りをした気になって非常に興奮したことを覚えています。

 

改めて読み返してみても、芦部先生の客観的な中にも情熱と格調の高さを伺える記述に当時の感動を思い起こします。同時に、国会議員になった今、この本には当時とは違う感想を抱きます。例えば、憲法起草過程に関する記述です。法学部生だった私は(あまり試験に出ない)憲法起草過程よりも基本的人権などの章の論点を熟読していました。しかし、今は憲法がどのように成立したのかにも関心が向きます。憲法改正の議論は、現行憲法の制定過程や時代背景と無縁ではありません。

 

終戦後の1945年10月、幣原喜重郎内閣は松本国務大臣を長とする憲法問題調査委員会を発足させ、新しい憲法の起草に取り掛かりました。しかし、GHQは松本委員会の〝保守的な〟起草内容を知り、草案に3つの原則を加えるように日本政府に迫りました。この3つの原則(①国民主権、②戦争放棄、③封建制度の廃止)は後にマッカーサー・ノートと呼ばれ、現行憲法のたたき台になります。下記の全文を見れば、②の部分はほぼ現行憲法9条に反映されているのがお分かりになると思います。注目したいのが、このうち赤字部分の表現です。

 

「国家の主権的権利としての戦争を放棄する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。いかなる日本の陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦権も日本軍には決して与えられない・」

 

この赤字部分の表現は憲法の前文の表現にも似ていますが、日本の防衛と保護を委ねる「今や世界を動かしつつある崇高な理想」とは何でしょうか。当時設立準備を進めていた国際連合と言われています。厭戦ムードが漂っていた世界は第二次世界大戦の反省に立ち、侵略戦争を禁じたうえで、戦勝国が中心となり国際連合を組織。そのうえで、地域の紛争を個別の国同士があるいは有志連合による合従連衡で解決する代わりに、国連が国連軍を派遣するなどして解決していくことを考えていました。この計画が成功すれば、日本は防衛力を持たずとも、国連に自国の防衛と保護を委ねることができた訳です。このような時代背景のもとで、理想を体現すべく現行憲法の9条が起草され、今から70年前に施行されます。

 

しかし、その後の世界は理想通りには進みませんでした。朝鮮戦争の勃発を契機に東西両陣営の対立が表面化し、日本が自国の防衛を委ねるはずの国連は機能不全に陥ります。代わりに、日本の防衛と保護に関して中心的な役割を担ったのが日米安全保障条約です。日米安保は二国間条約ですから、米国は日本の防衛に関して米国の一方的な貢献だけではなく日本側にも相応の協力と貢献を求めます。日本政府は憲法に抵触しない範囲内で(ただし憲法学者は憲法違反としますが)、警察予備隊、続いて自衛隊を発足させました。数十年の後、その冷戦も集結しました。ポスト冷戦後の世界は、中国の軍事力が経済成長に伴って急伸する一方、米国の経済力と軍事力は「世界の警察官ではない」(オバマ前大統領)と言うほど相対化しました。この間、独裁国家の北朝鮮は核開発を着々と進めるとともに、日本海に向けてミサイル発射実験を繰り返しています。アメリカの力の低下や日本周辺の新たな脅威を目の前にして、日本の安全保障体制は目下試練を迎えています。

 

ここまで書いたように、わが国を取り巻く国際情勢は憲法9条の起草当時、施行後、そして現代と変化し続けています。9条を含めて憲法のかたちをどうするかは、日本国民と日本国主権を、誰が誰に対し誰とどのように守るかの議論と密接に関係しています。この点は特に、私ども国会議員が憲法議論をするに際して責任と誠意をもって皆様に語りかけなければならないと思います。