を聴いてる。
遠い昔の高校時代を思い出した。もう二年前とか三年前とかになっちゃうのか。
すごい楽しかったなあ、好きな人のことはすごい好きだったし、聴きたい音楽をいつも聴いて、吉祥寺に、渋谷に放課後遊びに行って、お酒なんか夜なんかなくても楽しかった。すごい拘束されて制限された日々だったけど、その中で名一杯楽しんでやろうと意気込んでた。
勉強もめちゃくちゃ頑張ってたなあ。指定校推薦とるために。自分のやれる範囲でできることは全部やろうとしてた気がする。ハイリスクにならない程度のことね。欲望に生きてたな。まあそれは今でも全然変わってない気はするんだけど、いろんな事を経験して、どんどん赦されていくうちにステレオタイプになってって、熱意が欠けていく。膨大な一括りのステレオタイプのうちに人と被りたくない精神が強まってて、少しでもそれを回避しようと必死。全く同じ人なんていないのにね。
中高の校則の厳しさは異常だったよなあ。女子高だからなあ。ほんと中3のとき外部行きたくてたまらなかったもん。まあ、最終的には大切な友達も出来て今のわたしを作る経過としては重要な生活だったと思うよ。すごい私らしく生きてたと思う。いまの自分も、二十年間生きてて始めて出会った自分だから、これも自分らしい になるのかな?でもこんな自分嫌だって反発してるのは自分らしいと認めてる本来の自分らしさじゃないからだよね。
わたしってネガティブだけどさ、救いのあるネガティブなんだよいつも。何日かしたらすぐ忘れちゃうような。そのときは本気で悩んでるんだけどね。
でも救いのないネガティブな自分なんか始めてだったからだよなあ。人生の挫折だよね、本当。
いまの自分はなんだろう。好きな音楽聴けて、好きなところにいつでも行けて、旅行できて、友達たくさんいて、勉強とかするべき事なんかやろうと思えば出来て、バイトして、友達に会って、美味しいもの食べて、好きなもの買って、笑えて、泣けて、恋をして、沢山の色んな人に出逢えて、本を読んで、映画をみて、
でも1人じゃなんも楽しめないんだよなー。すぐ友達に会いたくなっちゃうし、空き時間とかあると電話とかしまくっちゃうし、友達がいて自分が成り立ってるのかな。自分がいて友達が成り立ってるのかな。前者のほうがそれらしいが後者のほうが妥当かもしれない。どんな友達でも、自分じゃなきゃ近くても遠くてもこの立場の友達はいないんだから。
ただやりたい事が見つからないんだよなあ。まあ、これだけ長い間考えてるからなんかしら就職は大丈夫だと思うんだけどね(笑)
そんなことよりも自分に迷いがでてて浮いてる感じがするんだよ。なんかいつになく孤独なんだよなあ。自分のこと論理的に分析しすぎたのかな。まあ今もだけど、昔から、ほんと小さい頃からなんでかわかんないけどまともじゃないからね、てか、普通じゃないからね本当。てか、異常だよなあこの人間。こうやって自分と向き合いすぎると人格障害とかになっちゃうらしいからやめよ。
取り敢えずな~なんか今のうちにやっとこう!みたいなのはもう今はいいかな…あとは四月は新しいバイトして→ラボエムか、ありさに紹介してもらう広告の事務か、テレビの大学生アルバイトか。新しい世界をどんどん広げようと思う。それで、たまに原点に返って、自分を見失わないようにバランスを取る。でもぶっ飛んでもいいんじゃねーかとも思うよ。バランスなんか取らなくても、今は失うようなものはないんだからいいじゃん。そうだなあ、中高と社会人は地位っていう失うものと常に生きなきゃいけないけど、大学生なんてそんなもん犯罪でもしない限りないからね。友達は全員見方だしさ。友達しかいないしさ。
取り敢えず四月は新しい世界をいっぱい見て行きたいな。これはいつも思う事だし抱負とかにもしてるけど、兎に角色んな人に出逢うことだね。花見とかね花見とかね。色んな世界のグループの人間が見たい。それ自体自分の人生になんの関わりがなくても知りたい。あとは、長崎・五島列島旅行ね。大瀬崎灯台で暴れ狂うの楽しみだな~
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