母には恩があります。


産まれてすぐ父が他界して大変な中

衣食住最低限困ることなく育ててもらった。

愛情をかけてもらった。

教育にお金をかけてくれた。

浪人までさせてもらってど田舎から都会の大学に出してくれた。


だから感謝はしている。

でも尊敬とか信頼はない。


非道い子供だと思うでしょうか。


子供の頃から授業で「尊敬する人」を発表するときとかに「お母さん」を挙げる人が不思議で、そういう感情を持てない自分はとてもダメな人間なんだと思っていました。


しかし四十を前にして自分が子育てしてみて改めて思う。尊敬信頼できるわけがない。


あるのは、感謝と憐れみ。

憐れみというとなんか少し違うのだけれど。


愛は確かにあって

でもそれは重苦しくて

全体重預けて

しかも背中に重たいものを背負ったまま

のしかかってくるような重さだった。


私はあなたのことをこんなに愛しているし

あなたのためにこんなに頑張っているし

あなたのためにこんなに我慢して

あなたのためだけに生きているんだから

それをわかって私の言うことをきいてよね

愛しているんだから

なんでも私のすることを受け入れてよね


こんなかんじ滝汗


書いてみたらほんとこのベッタリ重たい感じが

我ながら上手く表現できたなと改めて思う笑


男と駆け落ちでもして

好き勝手生きるダメな母親のほうが

よっぽど気楽だ

なんてよく思っていたものです。


そんな母を持つ人の苦しみを知らないから

思えていたことなんだけど。


つまりは

母自身に幸せになって欲しいと

子供の頃からずっと願っていたわけです。


反抗期で母の支配の外に出たので

現在の関係性は悪くはないのだけれど

それでも子供の頃に受けた歪な愛情に

30過ぎてもなお苦しめられた。


その正体は「過干渉」


軽度の過干渉ならば昭和の家庭なら

ほとんどの家にあったのではないかとおもう。

だから「虐待やネグレクトじゃあるまいし、過干渉くらいのことで親のせいにするな」とか「いつまでもそんなことにこだわってないで前を向け」とかいう人たちは多い。


過干渉にはレベルがある。詳細を知ればその深刻が理解できる人は多いだろう。


ただレベルが高かろうが低かろうが心の傷の深さは他人に計り知れるものではない。上記のようなアドバイスは、自分自身に何万回と投げかけている言葉であることが多いためとても的外れであり、二次加害ともなりえる言葉であるので、よくわからない人はどうか適当に発言しないようにして欲しいと思う。



さて、うちの場合はどうだったかというと。

具体例をざっとあげると、


・何かをきっかけに急にキレたり不機嫌になることが毎日のようにあり、その不機嫌はいつまでも続く。同居していた母方の祖父母に対しても同じ。家庭内全体に不機嫌を振り撒く。

・私が「抱っこして」と甘えると急に猫撫で声で母の顔になり「優しい母」モードになるため、幼い頃は母に機嫌を直して欲しくて甘える→本当は早くやめたいのにやめられないという矛盾した気持ちに苦しむ。

・家事はほとんど祖母任せ。「私は働いているんだから」が口癖。自分は散らかし放題だが私が散らかすことは許さない。片付け方も教えてられていないのに「なんでこんなこともできないんだ」と怒られる。

・テストは95点でもできなかった5点を数時間、下手すると1日以上ネチネチとなじられたり不機嫌で口をきいてもらえなくなる。80点台は発狂(小学1年生から)

・テストを隠していたことがバレると、「嘘つきは泥棒のはじまりだから、お前は将来凶悪な犯罪者になるんだ」と言われながら折檻。

・自分の意に沿わないことをすると「占い師にお前はとんでもないことをしでかすと言われた。やっぱりお前は犯罪者になるんだ」と言われ折檻。

・テレビ、漫画、アニメ、ゲームなどの娯楽は「頭が悪くなるから」禁止。

・お小遣いなし。

・自分では買えないから友達にこっそり漫画を借りるが、見つかると原形をとどめないほどその漫画で叩かれて友達に返せないようにされる。

・友達と遊びに行くためには勉強をしなければならない(勉強しないので遊びに行けない→交渉自体がストレスすぎて諦めるorこっそり遊びに行くようになる)

・小2頃、おそらく過度のストレスと先天的な姿勢の悪さによりナルコレプシーを発症。授業中起きていられず、起きていられるときはイラストを描いているときのみ。

・イラストは見つかると「こんなもの描いてるから勉強しないんだ」とビリビリに破かれる。

・パーソナルスペースをすべて侵害して友人との手紙のやり取りなどもすべてチェックしてくるのでプライバシーがない。

・中学生になりお洒落がしたくて眉毛を剃ると「不良になった」と発狂。「そんな眉毛がいいならよく見えるように坊主にしてやる!」とハサミを持って追いかけてきて、左手負傷。今も傷がある。

・喧嘩が多過ぎてなんの喧嘩か覚えていないが、鉛筆で刺されてケロイドになって残っている。

・思春期以降もお風呂に入っていると何かと理由をつけてのぞいてきて「子どもなんだからいいじゃない」と謎の理由で身体を確認する。


こんなのはほんの一部ですけど

書き連ねてみて改めて苦しい子ども時代だったな。


愛のある厳しさというのを完全に履き違えていて

狂気じみていてしかも逃げ場を作らない厳しさというか

小学生の頃から毎日毎日本気で「親を殺して自分も死にたい」と思っていました。


あまりの苦しさに中学時代はかなりキツい反抗をし、高校生あたりから母も考えを改めたのかだいぶ支配が解けました。


浪人とか大学進学とかで恩もあったのでハタチごろくらいからは「あの頃は中ニ病ってやつだったのかな」なんて思ってたけど、改めて書き連ねてみてそらこんなに苦しめられたらそう思うわと今はおもいます。


折檻ってのもしつけの延長だっていうけど、うちの場合は頭から身体から大人の本気の力で殴る蹴るされていたので完全に虐待。


でもこれもね、30過ぎて知人に「それ虐待じゃない」と指摘されるまで気づかなかった。いや指摘されても「行き過ぎた躾だっただけで、虐待とかではないよ」って本気で思ってた。


でも心の中の「どうしても許せない私」が1人目を産んでから暴れ始めたのです…


「まともに育ててもらえる娘が羨ましい」

「私が受けたものに比べたら

このくらいの過干渉は普通」

みたいな。


自分で自分の中の感情にドン引きでした。

後者は異常さに気づくのに時間がかかり

1人目は小さい頃結構過干渉にしてしまったな

と自覚しています。


「母も大変だったんだ」とか

「自分も悪かったんだ」とか

そうやって

傷ついて本当は許せない自分に蓋をしていると

他者や自分の子供にまで

無自覚に二次加害をしてしまうのであります。


だからそんな前置きは一度かなぐり捨てて

傷つけられた自分をひたすら癒す作業を

少しずつ少しずつしてきた私。


今こうやって書いているのも

癒し作業のひとつでしょう。


もうずっと昔のことなのに

かなり癒されたはずのことなのに

今でも涙がでてくるほど辛い。


変なアドバイスとかしないで、

「それは辛かったね」と言ってくれた

夫のおかげもあって

ずいぶんとアダルトチルドレン感はなくなった。


人の顔色をうかがって

変に道化を装うことは無くなったし

他人軸から自分軸になってきたなと感じている。


しかしこの、母のせいでこういう性格になった説には納得いかない部分もありまして。


それは、私が従順すぎる子どもじゃなければ母もあそこまで暴走しなかったのでは?ということ。


従順な1人目は私のちょっとした不機嫌も

見抜いて気を使ってくるから

甘えたくなっちゃうんです。


でも双子なんて怒ろうがどやそうが

ケラケラ笑って言うことなんか聞きやしない泣き笑い


でもこっちが健全だと思いません?

自分の気持ち、自分の快不快を

他者に委ねない芯の強さがあるわけです。


1人目には

「ママが不機嫌なのはあなたのせいじゃないから

ママの機嫌を取らなくていいよ。

気分を切り替えるからちょっと待っててね。」

と伝えていますが

他者に振り回されるこの繊細さを

優しさと片付けて良いものだろうか。


たとえ私が最新の注意を払って

1人目に干渉せず自由に育てたとして

1人目を取り巻く環境は私や家族以外にも

たくさん人がいるわけで。


どうやら先生や友達に強く出られた時も

譲ってしまって後から悲しくなったり

うまく対応できていないようなんですよね。


まさに私の幼少期とそっくり。

この従順さはもう生まれ持った「個性」なのか

それとも過干渉な母に育てられたからなのか

こんな私が過干渉に育てたからなのか

これがとても不思議でした。


2〜3歳の記憶みたいなのがぼんやりあるんだけど

「お母さんが不機嫌になるから何もしないでおこう」

という気持ちでとにかくボーっと過ごしていた。


漢字のカードを記憶させられてて

文字を覚えるのは得意だったから母は笑顔だったけど

時計や数字の問題になると興味がなくて

そうするとものすごい不機嫌になって怖かった。


物心つき始めの頃

「クリスマスはサンタさんから何がほしい?」

と毎年聞かれるのだが

私はいつも自分が欲しいものがわからず

「こういえば母が喜ぶから」という理由で

本をリクエストしていた。


テレビもろくに見せてもらえないし

おもちゃ屋にも連れて行ってもらえないわけで

どんなおもちゃがあるのかも知らないのだから

何が欲しいか考える方が難しいんだけど笑


母は私の答えを聞いていつも嬉しそうに

「あなたは欲のない子だね」と言っていた。


あー、よかった正解だった。

を繰り返していたクリスマス。

なんて切ないんだろう。


他にも色々とエピソードはあるのだけど、

正直子どもがここまで顔色をうかがうって

普通じゃないよね。


何がきっかけでキレるかわからない母だったからというのは大きいだろうけど、それだけでもない気がする…


と考えに考えてきた答えが

ようやく最近まとまったんですよ。


それは私の姿勢の悪さです。


置物のように動かない赤ちゃんだったという私。

正確には「動かしづらい身体」だったんです。

ほとんどハイハイもせずに二足歩行したことでしょう。


しかも動かない母に育てられてるから

動く機会もまぁないわけで。

(なのにたまーに公園とか連れて行ったら

子供らしく遊びなさいよ!とか言うんだよ。

ほんとちぐはぐな親だよ笑い泣き)


つまり胎内でも産まれてからも体幹が育つ機会がなかったわけです。


体幹がないと、

体に起こる反射をコントロールできなくて

感情が不安定になる。


それがあまりに辛いと感情をなくすようにして

心も体も麻痺状態となる。


それが私だったわけです。


私が小さい頃の母の口癖は

「私はあなたがいるから生きてる。あなたがいなければ、いつ死んでもいい。」

そう言いながら高いサプリメントをたくさん飲んで今もなお生きながらえている母。笑


子供にこんなことを言う想像力の無さよ…

自分で楽しめるようにもっていきなよ

と思うけど、それは私の体が母よりはずいぶんとマシな身体だからだったんですね…


客観的に自分を見る余裕も子供の気持ちを想像する余裕もないほど、生きてるだけで大変な身体の持ち主だったので、仕方なかったかもなと大人の私は思うわけですが、子供の私からするとえらい迷惑な話です。


あとよく言っていたもうひとつの口癖が

「あなたと私は一心同体よ。」

そういってよく抱きしめてくれました。


嬉しい気持ち半分、なんか嫌な気持ち半分

でした笑


嫌な気持ちの正体はまさにこの

子供を自分の一部とみなしているところ

だったんですよね。


そしてこの子供を一部とみなす感情こそが

過干渉になる第一歩なのです。


自分の手足と思ってるわけだから

思い通りに動かないと腹立つわけよ。


まぁこれも自分が一人目を産んで

おんなじ感情に支配されたから分かることなんですけどね…


ああ苦しい過干渉の連鎖。


逆に私は母の毒がキツすぎて頭おかしいと思えたから気づけたけど、暴力とかふるわず真綿で首を絞めるように過干渉するタイプの親がだと気づくのに時間がかかって精神病んだり、気付かないまま子どもへの連鎖を止められなかったりする人も少なくないようです。


毒親本はわりと読み漁ってきて

いちばん私にとってよかったのは

田房永子さんの

キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~

でした。


ほかの著書も全部とても気づきが深くて

心からのアプローチとしては最適と

私は思っています。


ただ私の場合は

自分でも自分にブロックかけ続けてきたから

ブロックがキツすぎてがんじがらめすぎて

これだけでは足りず。


でもそれが

身体からのアプローチでぶわーーーーっと変わり


変わったからこそ

あぁ、もしかしたから体の方が先に

苦しかったのかもしれないな

と気づくところまで参りました。


と、なんだかぐるぐる書いてしまいましたが

過干渉の恐ろしさわかっていただけましたでしょうか。


酷すぎて逆に参考にならなかったりするかな。笑


いつかなぜ母はこうなったのか

その考察を自分なりに書いてみたいと思います。


そうそう、これまた身体マニア仲間の

ゆかさんから聞いた情報なのですが


トラウマに向き合わずトラウマを解消できる

アクセスバーズという方法があるんだとか。


私はこんなふうに

書いたり考えたりするのが好きだったり

あと過干渉の傷も中学生までと割と浅い(?)

のもあって向き合ってるんだけど


向き合うのが苦しくてたまらない

人もいると思います。


私自身はやったことないけど、

ゆかさんがすごくいいと言うのだから

きっと効果あるのだと思う。


もうすぐ私も母が近くに越してくるので

トラウマ再発して心が苦しくなったら

アクセスバーズもやってみたい💕


家族にもできるらしいから、

胎内で苦しい思いをしていたであろう

我が子たちも癒してあげたい✨


似たところで言うと、

おとなまきもそんな効果があるようで✨✨


まるまる仲間のお母さんたちで

おとなまきを極めてきた人たちは

生育歴によるトラウマが解消したりしてるそうびっくり


私はまだ身体がガチガチなのか、

最近ようやくおとなまきして気持ちいいなって

思えるまできたところなので

説得力のあるおすすめはできないのだけど


アクセスバーズにせよおとなまきにせよ、

身体からのアプローチで心を癒せる

っていうところは一緒だなと思います。


もっともっと身体と心をほぐしていって

生きるのが楽しくてたまらない

壮年女性になろうと思います。