コーチングで、「境界線を引く」ってことを教えてもらったんですが、

これは相手に共感しすぎてつらくならないようにっていう話で、

自分は自分、相手は相手と割り切る部分を持つということです。

 

ボーダーレスな社会を目指したいって思っていた気持ちと

どうやって折り合いをつけるべきか考えていたんですよね。

どこかのコミュニティの間に境界線を引くと、

どうしても差別が生まれてしまう気がして、

結局、自分と自分以外で境界線を引くっていうことが

大事なのかな、って考えていたんです。

 

そんな時に、お正月の震災があって、

Xとかでいろいろ人的災害の話題が流れてきて、

(具体的に言うと、

性犯罪に気を付けてとか、

火事場泥棒みたいなものに気を付けてとか)

中には「外国人犯罪者が増える」みたいなものもあって、

またいろいろ考えさせられました。

 

多分実際に自分が被災したら、

「そんなことも言ってられない」

みたいな部分もあるので、

あくまで外側にいる部外者としての私が

震災をきっかけに考えたこととしてメモしておきます。

 

普段電車に乗っているときって、

人がいてもいないように扱っているじゃないですか。

それが悪いっていうことじゃないんですけど、

そういうコミュニケーションの方法をとっているというか。

で、普段なら、

この人たちが私を傷つけるかもしれない

なんて考えもしないわけですよ。

人として認識していない感じなので。

 

それが、

非常事態になったときって、

安全が脅かされるじゃないですか。

よくも悪くもですが、

お互いを人間として認識するし、

物質的にも不足していて、

精神的にも不満を感じるし、

ちょっとおかしくなる人もいるんだと思う。

 

それで、その時に信じられるのって、

自分だけですよね。

自分と自分以外で境界線を引くっていうことが

大切だと思っていたんだけど、

そうすると、他の人が信じられなくなる。

その中で家族っていうコミュニティは

共同体として安心感がありますよね。

本当にそういうときに家族って大事だなって思う。

 

で、次に自分と同じ性質の人をグループにする。

たとえば、女性は女性なら信じることができる。

だから逆にいうと、性被害を恐れて、

普通の男性まで加害者みたいに怖がってしまうってことが起きる。

トランスジェンダーの人も、

当事者じゃなければ理解されないと思う。

これは非常に申し訳ないと思うけど、

自分とは違うグループだって思ったら、怖いもん。

自分は性自認が女ですが、

心が女だって言っている見た目がおじさんと

トイレ一緒に入るのはやっぱり怖い。

だって、筋肉量とかも違うし、

本人はそう言っていても、

実際はトランス女性を騙る男性かもしれない

って、疑ってしまう。

 

だから、被災地のトランスジェンダーの方って

本当に大変だと思う。

わたしも差別するつもりはないし、

偏見も持ちたくないけど、

多分実際にそういう状況になったら、

上記のように考えちゃうし、

非常事態に配慮できない部分って多いと思います。

 

こういう議論をすると、

マイノリティに配慮しろ

みたいな論調になるかもしれないんですけど、

グループで境界線を引くとどうしても

それぞれのグループで不満が出てくるのは

いたしかたない気もします。

できるだけそれを解消していかないといけないんだけどさ。

グループ同士で、お互いに信用しようね、

っていう空気ができればいいんだけどな。

 

で、もう少し大きいグループで、

市民っていうところで境界線を引くと、

役所とか政治とかと対立したりする。

 

日本人っていう境界線を作ったら、

外国人犯罪者に目が行く。

 

そうやって外側に外側に境界線を引いて

自分のグループに所属していない人を

敵視してしまうっていう状況ができるというお話でした。

 

わたしは日本語教師っていう仕事をしていても、

外国人留学生にイラっとすることもあるし、

文化の違いで分かり合えない部分もあるし、

実際に火事場泥棒みたいなことをする人も

いるかもなって思っちゃうけど、

 

すべての外国人が悪いわけじゃないんです!!!

 

境界線の一番外側にいる彼らが

コミュニティの内側に入れるかどうか、

それは周りの日本人次第です。

 

人間っていう境界線

地球に住んでいるっていう境界線で

ぐるっとまるっと地球市民の考え方を

持っていたいなと思ったのでした。

(でもこれは理想であって、

通常時でも受け入れられないことがいっぱいある…)

 

あとはそういうコミュニティから外されちゃったり、

日本語が理解できなくて配給にありつけなかったり、

やむを得ない状況で、食べ物を盗むとか、

あと、もう、全然悪気がなくて、

非常時はそういうことが当たり前っていう

倫理観で生きている外国人もいると思うんですよね。

 

前者に関しては日本人もそういう状況なら仕方ないって

思うこともあるだろうし、

普段ならしない軽犯罪を犯す人は多分いっぱいいると思います。

清廉潔白な人間もいると思うけど、

生きるか死ぬかの状況だとそういうこともあり得るって

思っていた方がいいのかなと思います。

 

後者はさ、もう悪気がないっていうのは

どうしようもない気もするんですけど、

日本語教師とか日本語学校って、

非常時のそういう対応も含めて

学生を指導すべきなのでしょうか。

うーん、

”本物の”留学生ならよっぽどそんな人いないと思うけど、

留学ビザで、勉強しに来ていない外国人とかは、

そもそも何を言っても無駄っていう気もしますしね。

 

人としての在り方とか、

コミュニケーションとか、

コミュニティの問題とか、

難しい問題だけど、

向き合っていかないといけない時代なのかなと思ったのでした。

 

ボーダレスな社会で

みなさんはどんな風に

境界線を引きますか。