「認定日本語教育機関」と「登録日本語教員」

これからの日本語教育はどうなっていくのでしょうか。

 

まず、これは確実に言えることですが、

「登録日本語教師」制度の動きにみられるように、

これからの日本語教育は「質」が求められるようになります。

教育の「質」といっても、いろいろあると思うのですが、

大きく二つの側面から考えられると思います。

つは教師の知識と技能の質、もう一つは学習者の仕上がり(熟達度)の質です。

一見すると同じじゃないかと思うと思うかもしれませんが、

「何をどう教えるか」と「何を身につけたか」と言い換えたらどうでしょう。

どちらが重要かと言ったら、後者だということは明らかですよね。

 

多分、新制度は教師の教え方の質を上げたいっていう話かな、と思うので、

的外れなことを話しているのかもしれませんが、

お嫌でなければ、少々お付き合いください。

 

それで、学生が「何を身につけたか」について、何を基準にするかというと、

「日本語教育の参照枠」つまり、can-doだと思います。


参照枠では、

「1 日本語学習者を社会的 な存在として捉える」、

「2 言語を使って「できること」に注目する」、

「3 多様な 日本語使用を尊重する」という言語教育観の3つの柱を示しています。

 

3についてはつまり、

「”母語話者が使用する日本語”をゴールとしない」ということなのです。

 

日本語教育の質について、学習者の面からいえば、

「ミスが少ない文が書けること」よりも「コミュニケーションができること」が

より重要になっていくんじゃないかな、ということです。

 

「何ができるか」に注目すれば、

おのずと「何を教えるのか」「どう教えるのか」は変わるはずです。

 

現状、「みんなの日本語」を使用した文型シラバスで、

ガチガチに文法中心の学校もまだまだ多い気がします。

これが間違いだとはいいたいわけじゃありません。

 

ただ、気になるのは、

”can-doをベースに授業を組み立てなおす”ことが必要になるのかどうか。

もしそうなったら、私としては理想に近づく気がしますが、

文型シラバスで教えている学校からすると

カリキュラムを変えたり、テストを作り直したりしないといけなくて、

大変だな…ということ。

 

「日本語教員試験」もどんな内容になるか、わかりませんが、

もし「参照枠」をベースにしたら、という妄想をすると、

今までと同じだったら意味がないですよね。

でも、修正したばかりの「日本語教育能力検定試験」を

バサッと切り捨ててしまうことは考えられませんし、

大部分は同様の内容で引き継がれるのかな、と予想しています。

ただでさえ出題範囲が多くて試験時間も長い「教育能力検定」。

試験が”変わる”じゃなくて項目が”増える”だったらつらすぎるな。

 

(去年は「ルーブリック」が出題されたと聞いて、現役の先生たちは

「???」ってなってました。

「反転授業」とか「ルーブリック」とか、わたしもいまだに「???」ですが、

ちょっと新しい感じですよね。)

 

最後のは余談でしたが、

文化庁が「日本語教育の参照枠」を出しているのって、

今回のことと、まったく無関係ではないと思われます。

だとしたら、これを機にcan-doベースの授業が主流になるんじゃないか、

なったらいいな、というお話でした。

今回の新制度とそれに伴う新試験で、どこまで踏み込んでくれるのか、

期待と不安でいっぱいです。

 

みなさんはどう思いますか。

是非ご意見をお聞かせください。