最近、親との会話で改めて気づいたことがあった。
正直、昔から親にイライラすることが多い。
「太ったんちゃうか」
「中年太りやな」
「結婚して美味しいもん食べさせてもらっとるんやろ」
そんなことを言われるたびに、
「いや、そういうことちゃうねん」
と思う。
最初は、自分が短気なのかなと思っていた。
でもよく考えると、無神経なことを言われること自体が嫌なわけではなかった。
もっと別のところに理由があった。
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「俺の話を聞いてないやん」
そう思うことが本当に多い。
例えば以前、私の車のミッションが壊れたことがあった。
自分なりに調べて、ディーラーにも相談して、
修理するならギアボックス交換になり、高額になることも理解していた。
その話を父にしたところ、
「知り合いに聞いてみる」
と言い出した。
正直、どこで聞いても結果は同じだろうと思ったが、一応話をした。
数日後。
父から電話がかかってきた。知り合いに言われたことをそのまま伝えられた。
「修理したら高いです」
「ギアボックス交換になります」
「完全に治る保証もないです」
「持ってこられても正直迷惑」
「オイル交換は頻繁にした方がいいです」
と早口で説明された。
全部知っている内容だった。
しかも、こちらが頼んだわけでもない。
その時に強く思った。
「なんで知ってることを説明されなあかんねん」
と。
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他にも似たようなことがある。
1度目の結婚していたとき、アメリカ駐在中、本当はLAで結婚式をしたいと思っていた。
でも親から、
「飛行機しんどいから海外挙式はやめてくれ」
と言われた。
兄貴のハワイでの挙式があったときの飛行機がしんどかったらしい。
だから諦めた。
ところが数年後帰国まで残り1年になると、
「言ってくれたら行ったのに」
と言い出す。
その瞬間、
「いや、あの時の俺の判断はなんやったん?」
と思った。
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大学時代、金沢で一人暮らししていた時もそうだった。
私の下宿していたワンルームの狭い部屋に、
兄、父、母の3人が泊まりに来た。
今思うとかなり無茶苦茶だ。
ホテルに泊まればいい話なのに、
なぜか学生のワンルームで雑魚寝。
しかも授業のフィールドワークの関係で、
「クラスメイトが来るからやめてほしい」
と伝えていたのに来た。
結局、フィールドワークは別の友人の部屋に変更になった。
その時、母親は
「みんなに部屋見てもらいたかったんやろ。残念やな」
と茶化してきた。
当時も腹が立ったが、
今振り返ると、
なぜあんなにイライラしたのか少し分かる。
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今回いろいろ整理していて気づいた。
自分が怒っているポイントは一貫していた。
それは、
「境界線を無視されること」
だった。
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車の話もそう。
結婚式の話もそう。
金沢の話もそう。
全部、
「俺にも考えがある」
「俺にも意思がある」
「俺にも都合がある」
という部分が軽く扱われている。
だから腹が立つ。
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嫌いな人から価値観が見えるという話を以前書いた。
今回も同じだった。
親へのイライラを掘っていくと、
自分が大事にしている価値観が見えてきた。
それは、
「相手を理解しようとすること」
「相手の意思を尊重すること」
「決めつけないこと」
だった。
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思い返すと、仕事でも同じだ。
話を聞く前に結論を押し付けられる。
途中段階なのに評価される。
そういうことに強くストレスを感じる。
なぜか。
それも結局、
「まず理解してほしい」
からだと思う。
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一方で、親の側にも事情はあるのかもしれない。
親は親で、
「心配している」
「助けたい」
という気持ちから言っている可能性もある。
ただ、
意図と影響は別だ。
善意であっても、
相手が尊重されていないと感じれば関係は悪くなる。
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そして今回、一番大きな気づきがあった。
それは、
親は変わらない
ということ。
もちろん伝えることは大事だ。
でも何十年も同じコミュニケーションをしてきた人が急に変わる可能性は高くない。
だから、
「なんで分かってくれへんねん」
と思い続けるより、
「この人はこういう人なんや」
と理解する方が楽になる。
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大事なのは、
親を変えることではなく、
親がそういう人でも自分の機嫌が左右されないこと。
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そして将来自分が親になった時は、
同じことを繰り返したくないと思う。
求められていないアドバイスをしない。
まず話を聞く。
相手の意思を確認する。
子どもを過去の記憶で見続けない。
ある程度の年齢になったら、歳の離れた友人ぐらいの距離感に調整していきたい。
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親へのイライラを掘り下げてみたら、
結局見えてきたのは親の問題だけではなかった。
自分が何を大切にしている人間なのか。
それが少し分かった気がする。
「俺の話を聞いてほしい」
「俺の意思を尊重してほしい」
そんな感情の奥には、
自分自身が大切にしたい価値観が隠れていた。