昭和39年 12月8日 荻作 | □■□■ おぎさく スタッフブログ ■□■□

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東京荻窪にあるカメラ専門店、カメラのさくらやです。
カメラ/レンズの実写レビューや撮影会の様子をレポート!
記事を読んで気になった方は、ぜひお店に遊びにいらしてください。大歓迎致します。
■電話:03-3391-5675
■営業時間:AM10:00-PM8:00 (年中無休)

□■□■ さくらの横丁 ■□■□-使用カメラ 初代オリンパスペン

本日開店 『さくらの横丁』にお越し頂き誠にありがとうございます。

今回は記念すべき第一回なので私『荻作』こと当店店主の田辺浩一が職権を利用しまして担当させていただきますが、次回以降は各種取り揃えましたスタッフの面々が登場いたしますので御期待下さい。


第一回目なので恥ずかしながら私が写っている古い写真を上げてみました。

写真に写っているガキは私、風呂敷を抱えているのが私の父で当店創業者の田辺昭男、もう一人眼鏡の若者は新宿カメラのさくらや創業者、栗田広三郎の長男 栗田勲です。残念ながら私以外は既に鬼籍に入っております。


私の父の叔父分にあたる、カメラのさくらや創業者栗田広三郎は戦前せんべいやを営んでおりましたが、終戦後儲かるカメラに目を付け昭和21年サクラヤカメラ店が創業、遠縁にあたる新宿の大地主の土地の端っこを借りて一間間口の小さな店舗、栗田と私の父2人きりでのスタートでした。当時は進駐軍の兵隊からカメラやフイルムを調達して売る闇屋のような行為から、戦争未亡人が売りに来るカメラを安く買い叩いたりとかで、かなり儲かったそうです。

途中、泥棒に在庫品を一切合切盗まれるなんて事があり、何度か危機はあったようですが、新宿という高度成長のシンボルのような町のパワーが後押しして順調に業績を伸ばして行きました。


話は一気にこの写真の昭和39年に飛びますが、躍進を続けたサクラヤカメラ店は区画整理の立ち退きが幸に転じ新宿駅前が代替地となり、いまでもある東口店の場所に店舗が移動、当時はもう『株式会社カメラのさくらや』になっており、私の父の肩書きも専務取締役になっておりました。男子寮、女子寮を建設、4月になると大勢の新入社員が入社し、5月には新宿ステーションビルに初の支店を出店、さらなる出店へ向けて驀進中の頃です。


今回なぜこの写真を上げたかといいますと、写真に写っている栗田勲氏が荻窪カメラのさくらや誕生のキーマンだからです。この写真は大阪で写してますけど、開通間もない新幹線に乗った私はご機嫌な顔してますが、勲ちゃん(当時こう呼んでました)は一人浮かない顔をしています。なぜかというと次期カメラのさくらやのリーダーになるべく、大阪のN商会さんで修行をしていたのですが、同僚にいじめられ泣きが入り、私の父が慌てて大阪まで様子を見に行ったというのがこの時の大阪行きの理由だったからです。ほどなく東京に戻った勲ちゃんはさくらやの社員として帝王学を学んでおりましたが、すごく優しい性格が災いしたのか、プレッシャーに耐えられなかったのか、若くして病に倒れ入院してしまい、2度と公の場に姿を現すことはありませんでした。そういった背景からカメラのさくらやは大きく舵を切ることになり、栗田勲社長を私の父がサポートするという路線がなくなり、別の人を社長に迎えることになりました。そして新体制の中に私の父がいてもやり難い等の理由で新宿カメラのさくらやと袂を分かち昭和46年7月23日荻窪カメラのさくらやが誕生しました。


その後の事は皆様御存知のように新宿カメラのさくらやは『さくらや』と名前を変え、さらに大躍進を遂げ日本を代表する量販店となり、当店も地味ながら地域の皆様をはじめ、20年近く前から通信販売をスタートし全国のカメラ愛用者の皆様にご愛顧頂き、おかげ様で創業38周年を迎えることが出来ました。


スタッフ一同 今一度初心にかえり、皆様のお手伝いをさせて頂きますので今後とも宜しくお願い致します。