最近ぼくは自分の才能のなさとかセンスの悪さにうんざりしています。


もともと自分が苦手とする分野のことならとっくに諦めてるからいいんですけど、

殊、言葉を選んで文章を書くという点においては、もう少し直視できるものを書ける謎の自信があったんです。




信条というか、理想としての話をします。

アーティストと呼ばれる人が発表する作品にはメッセージがあってほしい。

何かどうしても伝えたいことがあって、その手段として音楽や文学や美術があってほしい



だから、僕が何か文章を紡ぐときにもそうした「うおおおおおおおお」みたいなのがあったし、

それらを形にする場としてのブログやツイッター(悪ふざけ)なんですね。



そこでは“自分の言葉”であることに対して自覚的なつもりだし、

どんなにふざけているものでも一つ一つ読み直して選び直して書き直してタイミングを計って妥協しないようにしています。




ただ、僕のつくる文章はあんまり伝わらないんだ、と最近気づきまして。


有効範囲がとてもとてもこぢんまりとしているんですね。

諸々のセンスが極めて僕に近い人にしか意味がわからない。


そんで、射程距離が短い。

意味を分かってもらえる人でも、共感はできない。



ならば、と思っていろんな人に通じそうな言葉を組み立ててみても、

どうでもよすぎて「うおおおおおおおおおお」が全然主張しないし、

なんなら「これ、前に他の人がもっと上手に言ってた」みたいのばっかなんですよね…







自分の人格と切り離しても届くだけの強い言葉を組み立てたいです。







救いがあるとすれば僕の中にまだ精査していない言葉がたくさんあることくらいで、

これからさらに単語の美醜を文章の巧拙を文体の緩急を見分けることができるようになれば「うおおおおおおおおおおおお」が伝わるのでは、と信じます。



またねパンダ