ダンシング・ヒーローと私 | 荻野目洋子オフィシャルブログ powered by アメブロ

ダンシング・ヒーローと私

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本日はSHOW-YAさんとのリハーサル日でした。またあの熱いバンドの音に囲まれ歌えるなんて当日、ますます楽しみになってきました。



それから、コメント欄で教えてくれた方、有難うーー‼️

レコチョク歌謡曲部門「ダンシング・ヒーロー」1位になっているんですね
それを知ってまたまた驚きの、50位以内に5曲もチャート・イン(その内1曲は「六本木純情派」)されているとは☆



皆さん、本当に有難うございます。

「ダンシング・ヒーロー」がリリースされて、すでに30年余り…ここまでたくさんの方に、時が経っても愛してもらえるなんて、夢にも思いませんでした。本当に本当に、感謝しかありません。

改めてこの場をお借りして、お礼を言わせてください‼︎
原曲の音源を机の引き出しにしまっていてくれた当時のディレクターVictorの高橋さん、「これは必ずヒットするだろうから、荻野目に歌わせたい」と決めてくれた事務所の平社長(最終的にはタイトルも命名)、何度もダメ出しされながら夜中の録音にもお付き合い頂いたエンジニアさん、印象的な振り付けを一緒に考え、最初は上手く踊れなかった私を特訓してくれた三浦亨先生を始め、番組出演前には歌って踊ることに早く慣れるようにとビデオ撮影してくれた当時アシスタント・ディレクターだった野澤さん、その後に支えてくださったレコード店や営業所の皆さん、真っ黒なスケジュール表に組み込まれた仕事場へと運んでくれた現場マネージャーさん(複数)、曲に合わせて作ってくれたデザイナーさんやスタイリストさん、メイクさん…身内だけでも本当に伝えきれないほどたくさんの方達に支えられて、あの曲は生まれました。

そこまでは、当時の他のアーティストの方と変わりないと思います…



そしてそこから先の歩みは、誰も予想のつかない展開に。

盆踊りで踊ってくれたり、バブリーネタのテーマソングに使ってくれたり、高校生ダンス部の勝負曲として選んでもらえたり。

どのように熱を帯びていったのか、細かいところはわからないですが、ただただ驚いています。こんなに「持っている」曲には、出会いたくてもそうそう出会えるものじゃないと思います。

長くなってしまって、ごめんなさい。

でも、周りの方からも仕事場以外で「ダンシング・ヒーロー」の話をされるし、何もしてなくても曲が一人歩きしているみたいで、もちろん平野ノラさんや登美丘高校ダンス部の皆さんのパフォーマンスのクオリティが高いからこそ、チェーン・リアクションが起きているので、私にはまるで他人事のようです。

ただ一つ言えるとしたら…

この曲には「化ける」要素があるのかな、ということ。確実にそれ以前、それ以後のオギノメヨーコに変化をもたらしてくれました。だから、何十年経っても、何かを変えるチャンスをくれる、不思議なパワーを持った楽曲なのかなと思います。たくさんの人を巻き込むチカラがある曲と出会えて、本当に幸せでこの曲を聴いた皆さんがhappyになりますように!!!!