八郷の 献上柿
「富有柿」を頂戴しました。
 
茨城の誇れる 宝の実 ともいえましょう。
 
平安装束で言えば、
実に高貴たる色めです。
 
貌(かたち)も麗し、
味も麗し。
 
「あな、むまや、むまや」
(現代語訳:あぁ、おいしい おいしい)


もうちょっと販売イメージをを企画工夫して、地元の至宝になればいいのになぁ。
  
高級な竹籠に、
十二単風の布で包む演出で、贈答用になる。 

  
たとえば、これを、男女風の色目で包み、対をつくれば、
「将来幸せな結婚が出来る」「幾久しき幸せ多き」などと いわく を付けて
七五三祝や婚礼のいの引き物にさえも成る。
 
「秋の贈答品」=「八郷の献上柿」 というかつてなかった新しい時期(秋)の贈り物スタイルさえも興し出すことができるかもしれない。
 
さすれば、値は今の10倍、20倍にも売れることだろうに。 
 
物が売れるには、演出も必要だと言うことに、石岡は気付くべきだと思う。 
 
 

 
市の企画に参加してきました。

「歴博」によってから、「成田山新勝寺」へ
 
ボランティアガイドさんにご案内頂いて、説明を受けました。
上の写真は「総門」天井に、十二支が彫られているので、自分の干支の下をくぐるそうです。
五十三の階段は、五十三の煩悩に関係しているそうで、
東海道五十三次の五十三も仏教的考えからだそうです。

それと、ガイドさんが、歌舞伎の市川さんがなにゆえ「成田や!」と呼びかけられるのか説明して下さいました。

 鐘堂

 
 三重塔(国重文)
屋根の裏側に、黒漆に五色の瑞雲が彩られていて美しい彩色でした。
日本の職人さんは見事です。



他に、釈迦堂の扉の彫り物も見てきました。
福沢諭吉がこき下ろしたあの「二十四孝」の彫り物も見てきました。




ちなみに
成田山新勝寺は、石岡市民に取っては非常に有難いお寺でして、平将門が現在の石岡市を襲い、常陸国、国庁を焼き討ちし市民を惨殺、陵辱したのですが、その平将門の乱平定のため天慶2年朱雀の帝の密勅により大僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つのです。