岐阜まで発達障害の講演会に行ったときの話の続きです。

↓こちらは最初の書き出し。

 

11月23日に「発達しょうがいのこどもが幸せな大人になるヒント」ということで、こどもの育ちに関わる活動をしているお二人のトークライブに参加してきました。

ブログ記事に飛びます。

 

「今書いていて、だから最近、自分の身を守る術に出会ったのかもと思いました。
このことはまた改めて書きます。」

で終わっています。

この「自分の身を守る術」というのは合気道と言霊のことです。

 

宮本茂和先生が書かれたFBの記事より

【合氣神道の稽古】
総ては氣から、氣が元ぞと「ひふみ神示」にあります。

その氣を理解し使えるようになる稽古です。

氣についての理解を身体を通して体験することでより深く知ることが出来ます。
かつて日本の先祖は心は言霊を運ぶ船(五十葉船)イワフネと呼んでいました。
ある事実を見てその人が選ぶ言葉(言霊)を運ぶ船です。

ですから心とはそれぞれの人がその場その時その事実を見て言葉(言霊)を選んで嬉しいとか悲しい、つらい、苦しいと感情を持つものです。その心が氣を動かします。
 氣とは元の宇宙に詰まっていて無から有へ 有から無へ流れて 力となり物を創造する原動力です。
 その氣は人間では総ての人に常に使えるように与えられています。

その氣を理解して使いこなし、人生を嬉しい、楽しい、歓びに満ちたものにしていけたら素晴らしいですね。

 

とにかく自分の使う言葉、耳にする言葉は思っている以上に大切にした方がいいことを知りました。

とは言えわかっていながらもできていない自分がいますあせる

 

なので、堀内裕子さんがお父さんに言われていた言葉の厳しいこと。

お父さんに否定されて育った裕子さんの救いは、裕子さんを丸ごと受け入れてくれたお母さんの存在だったようですが、24歳になるまで「自分はダメだ」と思っていたのですから、お父さんのマイナスの言葉の影響が強かったことがわかります。悪い言葉は内側に向き、いい言葉は自分の外側に氣が流れるのだそうです。

このことについては別に書きますね。

 

そして講演のあと、気持ちがもやもやしていたのですが、数日たって改めて思ったことは、

「相手(こども)を信頼しているかどうか」ということだ、ということです。

もうタイトルにして書いてしまっている。

 

信頼されて育つ子と、信頼されないで育った子はどんな違いがあるでしょう?

そう思ったら、我が子は遅刻はしても悪いことはしないから大丈夫。

学校へ行かなくても、違うことで学んでいくから大丈夫。

と、気持ちが楽になったのでした。

 

講演会では堀内裕子さんが次男君と一緒に書いた本を購入しました。

ADHDと自閉症スペクトラムの自分が見つけた未来

 

余談ですが、我が家の三男と、この次男さん漢字は違いますが同じ名前なので、親近感がわきました。

 

私は少し前まで、学校に行かない三男の未来は想像できなかったです。

本人もどう考えているのか、わかりません。考えがあっても言葉にする力がとても弱いです。

先のことを想像するのが難しいという特性もあります。

 

だんまりをしたり、たくと以上に感覚過敏がありそうなこの次男君が、

「未来」をどうして感じられるようになったのかということがとても興味のあるところでした。

 

この本の一部を抜粋します。以下

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「10年後に、あなたはどうなっていると思いますか?」という質問が苦手です。

なぜなら、そんな遠い未来までシュミレーションはできないし、今現在のことで考えを巡らせないと、すぐに置いていかれてしまうからです。

しかし、この質問を昔の自分にしていたのなら、答えは決まっていたでしょう。答えは「絶望」です。

 現状がうまくいってないのです。成長の見込みがまるで感じられないのです。

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深く納得。

 

ここからの出発だったのだということ。

 

そして、逃げもしたし、いろいろな試行錯誤をして進んだ結果があり、

今ならきっと「幸せに暮らしていると思います」と、そう言えるくらいに、幸せな道を歩んでいます。

と、書かれてかれていました。

これがとてもうれしい。

 

この本には次男君の誕生から就職までが書かれています。

当時、どんな思いだったのか。周囲がどんな風に接してきたのか。

 

身近に発達障害のある方がいるならば、とても参考になると思います。

 

まだ見ぬ未来はやはり、わくわくするものがいいですね。何も決まっていないのだから。

わざわざ悲観することはありません。

だからといって今、何もしないでいいわけでもない。

 

「自分の子だから大きく道はそれない。大丈夫」と思えたのは大きな収穫でした。