──大田蜀山人

詩は詩仏

書は米庵に

狂歌乃公(おれ)

芸者小万に

料理八百善

&『日本奇談逸話大辞典』志村有弘・松本寧至編

*大田蜀山人=前項を参照。

山谷堀の花形芸者小万は、美貌と勇み肌に加え芸達者でもあったが、顔立ちが整いすぎて冷たい感じを客に与える。そのため人気が落ち始め、本人もそのことを気にしていた。たまたま料亭の八百善で同席の蜀山人に落ち目をボヤいたところ、蜀山は小満の三味線の胴裏へ掲出賛を書いて呈した。

文中「詩仏」は大窪詩仏、「米庵」は市川米庵、「乃公」は蜀山本人、それに小万、八百善と当代一流尽しだ。しかも文化人として高名な蜀山自筆の戯賛だけに価値がある。小万の身にもハクが付いて人気回復、目出度しメデタシとなった。

この時代、自分を出す場合は卑下するのが謙譲の美徳でる。しかし蜀山人つまり四方赤良は、あえて「狂歌なら俺は一流」と広言して示したのである。それも一流とは一言も書かずにさらりと流した。さすが文筆の戯れにかけては大家だけあって、嫌味もケレンも感じさせない自己宣伝である。