阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは
25年前の阪神・淡路大震災は、6000人を超える犠牲者と全半壊家屋約25万棟、10兆円を超える甚大な被害をもたらしました。しかし、「負の遺産」だけでなく「正の遺産」も残しました。大震災がもたらし、私たちが引き継いだ「正の遺産」とは何でしょうか。
阪神・淡路大震災が契機になったこと
【ボランティア元年】
阪神・淡路大震災をきっかけに災害ボランティアが定着したため、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれています。ボランテアの延べ人数で、阪神・淡路大震災が167万人、東日本大震災が550万人など復興の助けになっています。地震だけでなく、豪雨被害でも民家の泥かきなどに活躍しています。
【震度階級に「5強」などを新設】
震度0〜7の8段階が設けられた1949年は観測員が体感で測っていましたが、1980年代後半から震度計による計器観測を取り入れました。阪神・淡路大震災時、震度階級は8段階のままでしたが、1996年4月に体感による観測を全廃し、震度計による観測に完全移行するとともに、幅が大きかった震度5と6にそれぞれ「弱」と「強」を設けて10段階となりました。
【東京消防庁にハイパーレスキュー創設】
阪神・淡路大震災を教訓に大規模災害に対応するため、高度な救出救助能力を有する隊員と装備で編成される消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)が1996年12月、東京消防庁に発足しました。所属は東京消防庁ですが、国内の大規模災害だけでなく海外の地震・森林火災・噴火災害・豪雨被害などへも派遣されています。
【災害派遣医療チーム(DMAT)発足】
阪神・淡路大震災は、被災者に対する初期医療の遅れを露呈しました。当時の医療技術でも「500名は救えたはず」と言われました。これをうけて、2005年に厚生労働省の日本DMAT(ディーマット)が発足しました。基本的に1チーム5人(医師1人、看護師2人、業務調整員2人)で構成され、要請があれば現場に3日〜1週間滞在して活動します。初仕事は2005年4月に発生したJR福知山線脱線事故でした。
【カセットコンロ・ガスボンベの規格統一】
阪神・淡路大震災の被災者はカッセット式のガスコンロを利用しましたが、メーカーによってガスボンベのサイズや構成部品が異なるため不便が生じていました。これを教訓として1998年2月に日本工業規格が改正され、ボンベの形状が1種類に規格化され、どのメーカーのカセットコンロでも統一されたボンベを使うことができるようになりました。
【水道レバーが「下げ止め式」に】
水道の湯水混合水栓のレバーは、阪神・淡路大震災の前まではレバーを上げると止まる「上げ止め式」が普及していました。しかし、大震災でレバー周辺の物が落下して水道水が出しっぱなしになるという事例が多発したため、震災後はレバーを下げると止まる「下げ止め式」が普及しました。
【地震保険が普及する】
火災保険では、地震・津波・噴火による損害は保障されません。そこで1966年に地震保険がスタートしましたが、加入率は低迷していて阪神・淡路大震災時に契約件数は約397万世帯(世帯加入率9.0%)でした。しかし、大震災を契機に約518万世帯(世帯加入率11.6%)と前年比30%増の伸び率を記録しました。ちなみに2018年度の地震保険の契約件数は約1883万世帯(世帯加入率32.2%)です。
阪神・淡路大震災の経験から学んだことは少なくありません。その教訓を取り入れて実践することが、被害・損害を少しでも減らすことにつながるのです。
参考資料など
東京消防庁「消防救助機動部隊」、損害保険協会「地震保険の契約件数」、「神戸新聞NEXT」