こんばんは小川龍一です。伊藤博文はフランツ・リストを日本に連れてこようとした
西暦1883年1月ワイマール公園の祝典での出来事。当時のヨーロッパでは誰も知らない人はいないというほどの老人フランツ・リスト(73歳)は、聴衆に演奏をせがまれ、ピアノを弾いていました。 そのときリストの演奏を初めて聴いて感激を受け、「ぜひ我が国へ連れて帰らねばなるまい!そして、教師として迎えよう!」と、思ってしまった日本人がいました。3年後に日本最初の内閣総理大臣になる伊藤博文(42歳)です。 彼は憲法調査のため、ヨーロッパ各国を旅していたのでした。しかし、彼と一緒に各国をまわっていた西園寺公望(34歳)は、 このフランツ・リストがどれだけ偉大なる地位の人物かを充分承知していたので、日本という小さな島国に来れるわけがないということをすでに承知しており、 興奮やまずに駄々をこねる伊藤博文を説得し、なんとかあきらめさせたといいます。フランツ・リストと伊藤博文の組み合わせでも“異色”だというのに…、、すごい話です。以上小川龍一でした。