週刊文春の報道によって小室哲哉さんが引退に追い込まれたとして、

週刊文春に批判が集まり、そしてその文春側が

「小室さんが引退したのは想定外」という発言があり、

更に批判は加熱しています。

 

ということで、通常の雑誌の場合、その責任は編集長にあるということで、

その編集長さんについて調べてみました。


お名前は新谷学さん。

1964年生まれですので、今55歳くらい。
大学を卒業してすぐに今の「文藝春秋」(週刊文春の発行会社)に入社されており、

スポーツグラフィック誌等の編集者を経て、

2012年に現在の週刊文春の編集長の位置に就かれたそうです(WIKI参照)。

なるほど、と思いました。


この情報が確かならば、

この新谷さんは「他の会社を経験していない」のです。
この方がジャーナリストとして(正確にはジャーナリストではありませんが、体質として)、

一番欠陥があるのは、「外からの視点が足りない」という部分です。

報道をする人間にとって、

一つの会社にしか所属していないというのはわりと致命的だと私は思います。

感性の方向が単純化してしまうからです。

なので今回(今回だけでないですが)のように

「引退は想定できなかった」みたいなことになる。

本当の意味で色々な側面から対象物を観察し、

あらゆる可能性を考えていての報道だったら小室さんの引退なんていうのは「想定」できたはずなのです。

でもそれができなかったというのは単純に一つの会社に「飼われて洗脳」されていたからで、

井の中の蛙、外からの感性を持ち合わせていなかったからということになります。

最近の不倫報道でちやほやされて内部で他の部署から

「文春さん、攻めますねー!」とか言われて図に乗ったんだろうなと。

これは私の考えですが、

ジャーナリズムに関わる人で一つの会社しか知らない人ほど情けなく、視野が狭い人はおらず、

そんな人が民衆に対して公平な目線で物事を語れると思いません。

巣鴨のおばあちゃんの発言のほうがまだマシです。

世界をバックパッカーのように放浪している人のほうがまだマシです。

一人の異性としか付き合ったことがないのに最高の人だ! とか、

他の種類のお米を食べたことがないのに日本一美味しい! とか言っているのと同じ。

こういう人が正論を振り回すのが一番危ないんです。

井の中の蛙なのにそれに気がついていない。

ジャーナリズムって人を不幸にすることじゃないと私は思います。