遠い親戚んちを

たらい回しプレイ中に

1年間だけ過ごした

広島の小学校の先生。


先生が6年生の時

広島に原爆が落ちた。


先生は原爆のことを

ピカドン と言う。


ピカッと光ったと思ったら

ドン!

爆音がしたから。




先生は叔父さんに連れられて、

原爆病院にお母さんを探しに

行った時の話を何度も

私達に聞かせてくれた。


原爆病院…どんな病院やろ…


病院の入り口で

先生と叔父さんは

高下駄に

履き替えさせられた。

普通の下駄より背の高い下駄。


理由は、病院の廊下が

膿で溢れていたから。


患者さんの体から

流れ出た膿が床に落ちて

その膿の中を

ウジ虫が泳いでいた。


何回聞いても恐ろしかったし

気持ち悪かった真顔


先生がかわいそうで

みんな泣いた。

悲しかった。


先生のお母さんは

原爆病院には居なくて

別の場所で亡くなっていて、

お父さんは戦死していて、


先生は孤児になった。


記憶に残ってる学校の先生

先生は、

僕は人から

「あの先生はじゃ」

と言われても

戦争は絶対ダメ!と

言い続ける

言うておられました。


ワタシは広島で

この先生の影響を強く受け

大人になってからも

原爆ドームを何度も訪れ

今も広島が大好きです♥️




先生は

絵に描いたような

熱血教師でした。


児童からも保護者からも

人気がありました。


 が 


ワシは好かんかった真顔


付け届けせん家庭の児童には

めっぽう冷たいように

感じておったからぢゃ口笛




タンポポポ

違いがわかる12歳☕️


1968年の話ですニコニコ



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