盛岡の街はまだまだ涼しいです。

昨日は岩手県庁、東北通信局、NTTや日本郵政、NHKに地元民放各社からお話をお聞きしました。

印象的だったのは東京からは東北復興庁などひとくくりにする議論になりがちですが、現地では岩手は岩手、宮城は宮城、福島は福島、しかしそれ以上に陸前高田は陸前高田、大船渡は大船渡、県境はおろか隣接する町同士でも一体感や帰属意識が異なることです。

当たり前のようですが改めてそれを強く感じます。

今日は沿岸部、釜石、大船渡、陸前高田、各市長さんからお話をお聞きします。

40日前には雪も残っていた遠野です。今は桜の季節。やはり日本は広いですね。

ここは被害の大きい沿岸部後方支援の拠点となっており、運動公園が自衛隊の野営場やヘリポートとなっています。

市長さんからお話をお聞きしました。自らも被災自治体を率いつつ周辺への後方支援にあたられる。また以前からの準備と訓練こそが速やかな対応につながっている。そんな姿勢に頭の下がる思いです。

次は釜石市に入りました。新日鉄とラグビーで有名な街ですね。

野田市長さん始め、宮古、大槌、久慈、山田町各市長、町長、代理の皆さんからお話をいただきました。

近隣でも事情が異なる、特に役場機能を維持した街と喪失した街との差を何とかしなければなりません。

それから大船渡に入り戸田市長さんからお話をお聞きしました。

やはり役場が高台にあって機能している分、取り組みは比較的進んでおられるように感じます。

市内はまだまだガレキの山です。それでも40日前に比較すると大分減り、街の見通しが効くようになっている感じがします。

最後は陸前高田に入りました。40日前を思い出します。

大分ガレキの撤去が進んでいます。

最後に訪れた陸前高田で市長の言葉『これだけの大きな犠牲に応えるには産業や環境などで世界に冠たる街づくりをするしかない』、『今は記憶も新しく支援も多いが、長期戦にならざるを得ない。末永く関心を持続させ気にかけていただき、応援して欲しい』。

胸に刺さる言葉でした。

5月11日。今日でちょうどあの日から2ヶ月です。

お忙しい中対応いただいた皆様、準備・お世話いただいた皆様に深く感謝申し上げます。