観る前は、辛い結末は嫌だなと思っていました。
でも初日を観た時から、ずっしり来るお話であれこれ考えて眠れなくなるけれど、
決して不快ではない。もっともっと深く感じ取りたいと思ってしまいました。
フランク夫妻は流されるままにあの結末を迎えたのではない。
手を尽くし、精一杯人生を生き抜き、レオは人としての誇りを失わず逝ったと思うからです。
レオは自分を受け入れてくれる世界に帰りたい人でした。もし彼が他人を受け入れることが出来て友人がいたら、と思わないでもありませんが、逆に彼を受け入れる南部の人はいないでしょうね。北部のユダヤ人というだけで、孤立したまま渦中に巻き込まれてしまった…。理不尽極まりないお話です。しかも実話なのですから。かなり辛い。
フランク夫妻については、観劇した多くの方が感想を述べているので、私は対極にあるトム・ワトソンを中心に書きます。
「人の数だけ正義はある」、そして「不変の正義はない」とも思います。
これは同じ森新太郎演出の「THE BIG FELLAH」でも強く感じたことです。
お互い正義を掲げて戦った南北戦争に負け、美しい故郷に北部から人々が洪水のように流れ込んでくる。しかも北部でも商売で力をつけ異教徒として嫌われているユダヤ人まで。そして土地の人々を老若男女問わず低賃金でこき使う。
強烈な郷土愛を持ち誇り高い人々は、この現状に大きな不満を持っていたでしょう。変わってしまった故郷を、誇りを、もう一度取り戻したい。その思いは澱のように人々の心に溜まっていたのです。
そんな時に「メアリー・フェイガン殺人事件」が起きてしまいます。
民衆の怒りが爆発する前に、今拘束しているどちらかを犯人にして早期解決すること。知事の絶対命令です。ここからして無茶苦茶(知事は後で理性的な判断をしたのになぁ)。
任されたドーシー検事は、誰が犯人だったら民衆は納得するのかと考えます。
そうだ北部から来たユダヤ人の工場長にしよう。とんでもない話ですが、初めに犯人特定。そして数々の証言をでっち上げる。後は得意の弁舌で陪審員の情に訴えて乗り切ります。
犯人を作り上げたのはドーシーであり、新聞で煽り立てたのはクレイグ記者ですが、本当に怖いのはトム・ワトソンですね。冷静に人々を観察し、絶妙なタイミングで
扇動します。
民衆一人一人は日々を懸命に生きている普通の人々です。
でも正義を掲げ、民衆の心の中の不満をかき回す人が出てきたら…。
やがて大きな渦となって、人々を飲み込んでしまいます。
真相云々より憎しみの方が勝ってしまう恐ろしさ。
ワトソンはメアリーの葬儀に現れ一人佇んでいる時、そこだけ空気が違うみたい。
参列者は悲しみと怒りの炎に包まれているのですが、彼の周りには冷たい空気が漂っている。
棺に手を添えて静かに唄う子守歌。これがまた優しく美しい歌声なのです。
だけどそれが怖い。スタイリッシュな紳士だからこそ、さらに怖い。
「~正義の戦い告げる足音」と唄った時、この人の中では勝利の方程式が出来上がっているのだろうなと思いました。
そしてワトソンは自分の「正義」をまったく疑っていない。権力志向が強い人という以上に、一度失った南部の誇りを取り戻すためには、地位を高めて民衆を自分の思想に纏め上げることが必要だと信じている人。
目的を達成するためには手段を択ばない。彼の中では、まだ南北戦争は終わっていないのかもしれないとふと思いました。
自分を敬遠しているドーシーを味方に付けるために、判事の口から「次の知事は」なんて甘い言葉をチラつかせる。
スレイトン知事が良心に従い再調査をして死刑を取りやめた時の民衆の怒りを見て、ドーシーは「知事になれる」と確信したのでしょうね。
あっさりと「あなたに従う」と言ってしまう。その時のワトソンの表情が忘れられません。秘かな笑みを漏らすのですが、目は笑っていない。
操り人形ゲット、布石は完璧みたいな感じでしょうか。
初日に2階席からオペラグラスでワトソンの表情を見た時、コワッと思いました。
新納さんの端正な容姿を生かした冷酷な美しさ。甘くも狂気にも変貌する歌声。
スリル・ミーの「彼」にも匹敵する役柄ですね。
ワトソンは自分の理想の世界に人々を引き込みたい人。
当時の南部の人達は強いリーダーを欲していました。とにかく屈辱的な現状を打破してくれる人。ワトソンはそれが出来るのは自分しかいないと思っていたのでしょう。異教徒であるユダヤ人の命など歯牙にもかけません。強烈な差別主義者。
私たちは俯瞰で見ているから、この理不尽さ不条理さを憎むけれど、当時の人達からみれば、自分たちの鬱憤を晴らしてくれた彼やドーシーは英雄だったのでしょう。
クレイグ記者が冤罪に気が付いた後の武田真治さんの戸惑いと後悔の演技も素晴らしい。あそこで訂正記事を書こうものなら、彼も殺されていたかもしれません。
ワトソンの描いた絵図のままに民衆の怒りは爆発し、レオは私刑されてしまいます。最後のルシールの表情は同じ森新太郎演出の「東海道四谷怪談」の黒い舞台、降りしきる雪の中、最後に見せたお岩様の憎しみ苦しみ悲しみを全て吐き出すような咆哮にも似ていました。
「真実を見抜く目」「あらゆる差別を厭う心」 今の私たちはそれが持てているでしょうか。自分自身を振り返ってYESとはとても言えません。
SNSやワイドショーで語られる話に「そうなんだ」と引っかかりやすい。
溢れる情報が全て真実とは限らない。 一歩引いて「何が真実か」冷静に考えることが人として大切なのだと自分自身に言い聞かせ続けたい。
流されやすい私には大きな教訓となった舞台でした。
幕が開いた時、燃えるような夕焼けと聳える大樹に目を奪われ、2人の兵士とそれに続く民衆の怒涛のような歌声で舞台に引きずり込まれました。
切れ味の良い演出と音楽。圧倒的な歌唱力と演技力を持つ俳優たち。黒い舞台に鮮やかな色、光と影で場面を創る照明。無駄を一切省いた美術。特に降り注ぐ紙吹雪は見事な照明と相まって、舞台上で様々な役割を果たしていました。
私はストレートプレイで舞台に嵌りましたので、どのような美声で唄われても演劇的要素のない舞台、俳優の演技は敬遠してしまいます。
東京芸術劇場で「不信」「ハムレット」「パレード」と連続して観ましたが、どの作品も素晴らしかった。
しかし一番演劇として優れているのは、このミュージカル「パレード」ではないかと密かに思っています。
新納慎也ファンでなければ、多分見逃していたであろう本作品。
観ることが出来て、本当に幸せでした。