ウズベキスタン・ツアーの最終日はサマルカンドからタシケントに移動し、22時発の直行便で帰国というスケジュールでした。
ホテル出発は10:40であったので、朝食はゆっくりと頂きました。
ホテルからサマルカンド駅へ。
タシケントまでは、鉄道で移動。
プラットフォームから
待合室
名物サマルカンド・ナンの売店
列車内(真ん中の女性は、別グループの現地ガイドさん)
列車は揺れも大きくなく、乗り心地は悪くありませんでした。バスよりも楽でした。
しかし、トイレは故障中であったのか、水洗が流れなくなっていて、状態が悪かった・・・
3時間程でタシケントに到着。
タシケント駅
駅で待機していたバスに乗車し、ウズベキスタン工芸博物館へ。
ウズベキスタン歴史博物館が月曜日は休館なので、代替になったようです。
1907年に建てられたロシア公使の私邸を利用した博物館で、スザニや陶器が展示されています。
ウズベキスタンの遺跡や博物館では、写真撮影をするには、別途料金を徴収されるケースが多くなっています。私のスム(現地通貨)は残り僅かになっていたので、ここでの写真撮影はパスしました。
続いて向かったのは、ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場。
ソ連によって抑留された日本兵が強制労働で建造した劇場で、1947年完成。
内装も素晴らしいらしいのですが、見物したのは外観だけでした。
マルちゃんに質問した所、マリインスキーやサンクトペテルブルク・フィルは、過去に一度だけ来演したことがあるそうです。来日公演の方が多いですね。
綿花に見えるようにデザインされている噴水
劇場の壁面には、建造したのは日本国民と書かれています。
これは、旧日本兵はソ連の捕虜であって、ウズベキスタンの捕虜ではなかったという配慮から書き記されているとの話でした。
この時、「太平洋戦争」と説明したマルちゃんに対して、岩手のセレブ夫婦のダンナさんが、「太平洋戦争という言葉は間違い。そんな戦争はなかった。正しくは大東亜戦争である!」と教育的指導がありました。セレブ夫婦のダンナさん、ネトウヨだったのか?(笑)
私も同意見であると(日中戦争と日米戦争は全く別物で、日本はアメリカと戦争する気はなかった)、後でダンナさんには話しておきましたが、マルちゃんにはちょっと気の毒でした。ウズベキスタン人に、太平洋戦争と大東亜戦争の違いはわからないでしょうからね。
信州のオバチャン、北海道のオバチャン(ロシア語ペラペラ)も、食事の際、日本の対中・対韓土下座外交は間違っていると主張していたし、やはり、日本は右傾化しているのかあ(笑)
私はこうした場では、政治的な話はしないようにしているのですが(私が本音で話したら極右扱いされそうだしw)、最近は右寄りの話をする人が増えていると感じます。
60歳以上の世代でも、朝日新聞やTBSが垂れ流す反日・自虐史観に騙されない知性的な人が増えているのは好ましい傾向です。
そして、今回のツアーの最後の観光は、タシケントの街の中心であるティムール広場でした。
ウズベキスタンの英雄 アミュール・ティムール
今回のツアーは好天続きで、見所が多く、食事も美味しかったので、ワタシ的には期待していた以上に楽しめました♪
岩手のセレブ夫婦も満足されたのか、腕を組みながら、ラブラブな足取りでバスの方へ歩いて行きました。こうした激安ツアーには珍しい上品な感じのご夫婦でした。
一人だけ、お腹を壊して辛そうなオバチャンがいて、バスの中で休んでいたようです。
どうやら、葡萄を皮ごと食べて、あたったようです。他の人達も、皮ごと食べていましたけどね。私は生野菜と併せて、敬遠しておいたので無事でした。
その後、信州のオバチャンがコーラを飲むようにアドバイスして、効果があったようです。
信州のオバチャン、成田での別れ際に、「お腹を壊した時はコーラが効く。覚えておくのよ!」と私にアドバイスしてくれました。
帰国してネットで確認すると、確かにそうした都市伝説(?)があるようです。
コカコーラ社は認めていないようですが、効果があると体験から主張している人が沢山いるようです。私も困った時には、やってみようと思います。
ウズベキスタンに到着した日に宿泊したホテルで夕食。
往路でのウズベキスタン航空の機内食は、私の口には合わなかったので、ここでしっかり食べて、帰国便の中での機内食は抜きました。
ちなみに、他の人達は、ウズベキスタン航空の機内食は美味しかったと言っていました。
私が贅沢すぎるのかな? でも、一か月前に搭乗したANAの機内食と比べると、ガッカリなお味でしたけどね。
夕食後、空港へ。ここで予期せぬ事件が勃発!
テロ警戒のため、セキュリティ・チェックが厳しいのですが、私とセレブ夫婦のダンナさんが引っかかりました。金属物など、何も身に着けていないのに・・・
順番に別室に入れられ、手持ちのバッグを隅々までチェックされた挙句、何と、パンツまで下ろせと言われました! この時代に、スッポンポンかよ!
私、マジで拒否ろうかと思いましたが、アメリカと人権問題で揉めるような後進国ですから、帰国できなくなる危険もあるなと思い、しぶしぶ、従いましたよ。
こんな事を強要されたのは初めての経験でした。
当然、疑いは晴れたのですが、その警察官の態度は悪いし、かなりムカつきました。
オマエラのセキュリティ・チェックの機器がボロいから誤作動したのに、sorry の一言もないのかよ! 全部脱がなくても、金属探知機を当てれば済むだろうに!
最後の最後に、ウズベキスタンへの好感度が大幅ダウンしましたが、この国の実態の一部を見る事ができてよかったのかもしれません。
その後は何もトラブルはなく、翌朝、無事に成田に降り立ちました。
初めて中央アジアに足を踏み入れましたが、過去に訪れた国々では見たことがない独特の風景や遺跡を沢山見物できました。
最後にケチが付きましたが、機会があれば、他の中央アジア諸国(カザフスタン、キルギス、
タジキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタン)にも行ってみたいと思っています。
特に、トルクメニスタンの地獄門 は見物してみたいのですが、ここへ行く場合は、ウズベキスタンに入国し、ヒヴァからトルクメニスタンというルートが一般的なようです。
う~ん、ウズベキスタンには、もう入国したくないなあ・・・
トルクメニスタンの地獄門(拾い物)
以上で、ウズベキスタン旅行記終了です。
お付き合い、有難うございました。