5日目は再びバスでの都市間移動なので、出発は早朝5時!

何でも、橋が落ちてしまい、迂回路を取らなければならなくなったからという事でした。

 

バスの車窓から迎える日の出

 

向かうは、”ウズベキスタンの英雄”とも言うべきティムールの故郷、シャフリサーブス

 

~中世アジアを代表する軍事的天才と評価され、中央アジアから西アジアにかけてかつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。しばしば征服した都市で大規模な破壊と虐殺を行う一方、首都のサマルカンドと故郷のキシュ(現在のシャフリサブス歴史地区)で建設事業を行う二面性を持ち合わせていた。~Wiki より

 

14世紀に、サマルカンドを首都する大帝国を築き、オスマン・トルコにも勝利したのだから、ウズベキスタン人が誇らしく思うのも理解できます。

9月に亡くなったカリモフ大統領も、自らをティムールの再来のように思わせるイメージ操作をしていたようです。

 

車窓から見えた天山山脈の果ての部分

 

シャフリサーブス近くの農村風景

 

 

11時頃、世界遺産 シャフリサーブス に到着。途中の休憩も含めて、約6時間のバス旅でした。早速、観光開始。

 

ティムール像

 

偶像崇拝を禁止するイスラム圏で、このような銅像が建立されているのは、前稿(ブハラ後編)で書いた通り、「ウズベキスタンが緩やか」だからです。

ティムールの時代から伝わる肖像画や銅像は一切ないそうです。

新しく建立された像の顔は、埋葬されていた遺体を元に復元されたようです。

 

公園のあちらこちらにバジルが植えられている

 

 

ティムールは、 シャフリサーブス にも サマルカンド に匹敵する建築群を築きましたが、16世紀に ブハラアブドゥール・ハンが嫉妬心から殆どを破壊してしまったそうです。そのため、現存する ティムール時代の遺跡は僅かしか現存していないようです。

その現存する貴重な遺跡が、アク・サライ宮殿跡

宮殿は1380~1405年に建造されたそうです。

 

現存するのは宮殿の入り口アーチの残骸のみ

 

 

 

 

続いて、ドルッティロヴァット建築群 を少し離れた位置から見物。

 

 

この中にある廟には、ティムールの父が埋葬されているそうです。

 

以上で、シャフリサーブス 観光は終了。

物足りなさが残りましたが、16世紀に破壊されてしまったのでは、仕方ありません・・・

 

ランチタイム。

ここには自家製のプラムジュースがあるというので、注文しました。

(前日までのレストランには、ソフトドリンクはコーラとファンタしかなかった)

 

まあまあ

 

スープ

 

マンティ(餃子)

 

信州のオバチャンは、「ここのレストランはダメ」と一刀両断。

確かに、ここは期待ハズレでしたが、激安ツアーとしては標準レベルであったと思います。