午後の観光は、中央アジア最古の神学校 ウルグベク・メドレセ からスタート。

ウルグベクは、この後、頻繁に登場するティームールの孫で、天文学者としても有名であったそうです。

 

1418年創設、1585年修復

 

通りを挟んで向かい側に建つのが、アブドゥールアジス・ハン・メドレセ

ウルグベク・メドレセ 創設の200年以上後に建てられたとか。

 

 

 

赤・黄・緑といった装飾も見えます。

これは、インドやオスマン・トルコの影響と考えられているようです。

 

中庭は土産物店だらけ

 

この頃には、オバチャン達はイスラム建築に食傷気味のようで、遺跡よりも、スザニという刺繡がされた衣服や小物のお買い物の方に関心が向いているようでした(笑)

 

でも、確かに、ウズベキスタン内のイスラム建築は様式が固定化していて、変化に乏しく感じます。この日の朝一に見物したイスマイール・サーマーニ廟は個性的でしたが、他のメドレセは似たようなものばかり。

 

西欧であれば、ロマネスク、ゴシック、ロココといったような明解な変化・変遷があるし、カトリック教会であれば中に聖書のエピソードを視覚化した宗教画もあります。
しかし、偶像崇拝を禁止するイスラムには、絵画や彫像はありません。

エピソードもアラビア文字で壁面に刻まれているそうですが、普通の日本人には読めませんわ。

壁面の装飾も青を基調とした幾何学紋様ばかり。
芸術作品ではなく、宗教施設である事は十分に理解していますが、革新性とか、製作者の個性は全く見えません。

 

雲一つない青空の下、シンメトリーで幾何学的なブルーの装飾が施された建築物は美しく映えるのですが、無機質で個性に乏しい建物を連続して観ていると、正直、飽きてくるんですよね・・・
そうした兆候が、私にも、この頃から現れ始めました。
やはり、
システィーナ礼拝堂「最後の審判」のような強烈なインパクトが欲しいなあ・・・

 

 

午前中、礼拝のタイミングと重なって入れなかったカラーン・モスクへ。

 

1514年建築

 

2時間程前には、ここに約1万人が集まり、礼拝していたとか・・・(ホントかよ???)

 

 

 

 

この後、40分程の自由時間が設けられました。

 

ミナレットへ登ることができないので、代わりに上から見下ろせる場所はないかとマルちゃんに尋ねたら、近くの喫茶店のような店を教えてくれました。そこが一番高い位置であるとの事でした。一人で行ってみました。

 

赤矢印が教えてもらった店のテラス

 

上がってみた。コーラを注文。

 

ウズベキスタン、昼間は猛暑なのに、フルーツのフレッシュ・ジュースを売っている店を一つも見かけませんでした。コーラとファンタばかり・・・ 

アイスクリームの売店も殆どありません。

 

テラスからの眺望

 

上から町を一望する事はできませんでしたが、まずまずの眺め。

コーラを飲みながら、日陰にのテラス席に座り、一服しました。

ツアーの他の人達は、タキ(バザール)でのスザニ購入に夢中になっていたようです(笑)

 

私も、15分程、タキ(バザール)をぶらついてみました。
 

 

 

ここにも夢中のオバチャンが一人

 

 

刃物・ハサミの有名店

 

15時半頃、バスに乗って、一旦、ホテルに戻り、休憩となりました。

ホテル休憩があると助かります。ニコニコ

 

 

夕食は、民族舞踊ディナーショー

バスに乗って、会場のナディール・ディヴァンベギ・メドレセへ。

 

帰りがけに撮影

 

会場は中庭。

 

 

楽団

 

民族舞踊

 

トルコのベリーダンス、モンゴルの民族舞踊とも違った踊りでした。激しい踊りではありませんでした。

民族舞踊は半分程で、もう半分はファッション・ショー。

ウズベキスタンの新進デザイナーによる民族衣装をベースにした今風のファッションらしいです。

 

モデルさん達

 

モデルさん達は美形揃いですが、欧米モデルと比べると、背は低いですね。

ヴィクシーのショーをこれぐらいの位置で見物できたらいいのになあ。ニヤリ

 

 

ここでもマスタヴァ(米の入ったトマトベースのスープ)

 

 

メインはナポリタンのような麺料理。麺はパスタというよりも、うどん。

上に乗っているのはチーズではなく、麩のようなもので、味は殆どなし。

結構、美味しかったですよ。

 

 

 

終わった後、マルちゃんに、「イスラムなのに、お姉さんがあんなに肌を露出していいのか?」と尋ねたら、「緩やかですから」と笑って答えました。

 

昼間、自由時間に歩いていたら、小さな銀行がありました。

イスラムでは、お金を貸して利子を取る行為は厳格に禁止されています。

マルちゃんに尋ねた所、「緩やかですから」

 

まあ、実際は、イスラム圏でも、何とか理屈をつけて、銀行業を営んではいるのですけどね。

しかし、欧米の投資銀行のような派手な事はできません。なので、サウジの王族等のお大尽は、欧米の投資銀行やヘッジファンドを使って、オイルマネーを運用しています。

 

キリスト教でも本来は、利子取得は禁止されていたようですが、フィレンツェのメディチ家が上手い抜け道を考え出して(実際は利子なのに、為替手数料のような名目にしていたらしい)、金融業を確立し、財を成したという話を本で読んだことがあります。

それが、ルネサンス芸術を花開かせ、西欧が世界をリードする形で大きく発展した要因の一つになったようです。

 

マルちゃん曰く、ウズベキスタンはイスラム教徒が殆どであるけれど、イスラム国家ではないし、相当に世俗的で緩いとの事でした。

マルちゃんもイスラム教徒ですが、忙しいので、毎日の5回の礼拝はしていないと言っていました。

 

ソ連に併合されていたという歴史も、緩くなった原因の一つでしょうね。社会主義体制は、宗教を禁止しようとしますからね(ロシア正教も完全には禁止されなかったが)。

 

ギャンブルは禁止されているそうですが、レストランでは普通にアルコールも注文できるので、イスラム圏の中でも、ウズベキスタンは相当に世俗的です。流石に、豚肉料理は一度も出てきませんでしたけどね。

競馬が公然と開催されているトルコほどではありませんが、緩やかであることは間違いありません。

 

 

民族舞踊ディナーショーは1時間で終了。

バスでホテルに戻りました。

夜景を撮りに行きたいという思いもあったのですが、ホテルは旧市街からちょっと離れていて、タクシーを使わないと出ていけなかったので(バスの路線図や乗り方は把握していなかった)、断念しました。

年ですかね・・・

 

今回はちょっと、文字が多くなってしまいました・・・ (;^_^A

 

4日目終了。