4日目は古代から繁栄してきたオアシス都市ブハラの終日観光。旧市街全体が世界遺産

 

9世紀のサマーン朝時代が黄金期でしたが、1220年、チンギス・ハーンによって徹底的に破壊されました。

16世紀のシャイバニ朝時代に大きく復興し、現存する遺跡群は、その頃に築かれたものが多いようです。

 

ホテルのバルコニーからの眺め

 

ホテル横の公園

 

ホテル出発は9時。漸く、普通のスケジュールになりました。

最初に向かったのは、中央アジア最古のイスラム建築であるイスマイール・サーマーニ廟

 

ウズベキスタンでは、遺跡の近くに遊園地を造るケースが多いらしい

 

サマーン朝時代の892~943年に建築

 

ヒヴァ の土色の建物は日干し煉瓦で築かれていましたが、これは焼き煉瓦なので、建築に時間を要したそうです。形・意匠・内部装飾、いずれも見事で、美しい。

今回のツアーで見物した遺跡の中でも、ワタシ的には特に気に入りました。素晴らしい遺跡です。

 

 

チンギス・ハーン来襲時は土に埋もれていたので、破壊を免れたそうです。

 

お次は、徒歩5分程の場所にある”予言者ヨブの泉”チャシュマ・アイユブ

 

 

12世紀の水不足の時、ヨブがここを杖で叩いた所、水が湧き出たとか。

14世紀に建てられ、16世紀に増築。

 

 

続いて、アルク城

 

 

 

最初に城塞が築かれた時期は定かではないが、2000年以上前とも言われているそうです。

チンギス・ハーン来襲時には、凄惨な大虐殺があった城です。

 

昔、井上靖の 「蒼き狼」 を読んだのですが、ブハラやサマルカンドでの大殺戮のシーンは印象的でした。

 

チンギス・ハーンの遠征図(WIKIより)。青〇がブハラ、サマルカンド

 

黄〇がオトラルという、チンギス・ハーン遠征のキッカケをつくった地。(オトラル事件)

チンギス・ハーンからの使節団をオトラルの総督が密偵と断定し、400~500人を殺害。

怒ったチンギス・ハーンが出征を決心したという有名な事件です。

後に、このオトラルの総督は、チンギス・ハーンによって、沸騰させた銀を目と耳に流し込まれて処刑されたそうです。「蒼き狼」 でも、淡々と記述されています。

 

マルちゃんに尋ねた所、やはり、ウズベキスタン人は、チンギス・ハーンを恨んでいるそうです。

特に、ブハラは、本当に徹底的に破壊されたと言われています。男は殆ど殺され、女は全員凌辱されたと「蒼き狼」 でも書かれています。

日本も神風が吹かなければ、モンゴル軍によって蹂躙されていたかもしれません。

モンゴル軍は九州に上陸して鎌倉幕府軍と戦いましたが、船では大量の馬を運ぶことができず、大陸でのようなモンゴル軍の戦闘力は発揮できなかったそうです。日本はラッキーでしたね。

 

現在のアルク城は18世紀に建てられ、1920年にソ連軍に攻略されるまでは、歴代のブハラのハンの居城であったそうです。チンギス・ハーンによる血塗られた歴史の名残はなく、のどかです。

 

モスク(チョロチョロオヤジ、ここでも右下に写っていやがるw)

 

モスク内で展示されているコーラン

 

マルちゃんによる説明の詳細は忘れてしまいましたが、貴重なコーランで、一時期、エルミタージュに持って行かれたものの、ソ連と交渉して返還してもらったそうです。

 

謁見の間(絨毯は売り物)

 

ここのスペースには、土産物の露店が並んでいました。

自分が描いた絵を売っている画家もいました。

岩手のセレブ夫婦のダンナさんが1枚、お買い上げ。$100 か $150 でした。気前がイイネ。

 

イケメン画家が売っていた絵

 

 

アルク城を出て、歩いて、ミル・アラブ・メドレセへ。

 

 

1536年にウバイドゥッラ・ハンが3000人以上のペルシャ人奴隷を売っった資金で建てたそうです。美しい建築ですが、残酷な歴史があります。

 

メドレセ前の広場に建つカラーン・ミナレット。高さ46m

 

1127年のカラ・ハン朝時代に建設。現在は、残念ながら、登ることができません。

チンギス・ハーンはここにも来ましたが、塔の上を見上げた際に帽子が落ち、拾い上げた時、「余に頭を下げさせた塔なので壊してはいけない」と言ったという伝説が残っているそうです。気まぐれですな(笑)

 

18世紀には、この塔の上から、袋に詰めた死刑囚を落としていたそうです。

チンギス・ハーンに限らず、この辺りの人間のやる事は本当に残酷です。

 

ミル・アラブ・メドレセに向かい合う形でカラーン・モスクがあるのですが、礼拝の時間と重なってしまったので、見物は午後になりました。

 

 

バスに乗車し、午前中最後の観光 チョル・ミナル へ。

 

4本のミナレットという意味

 

1807年にトルクメニスタン人の大富豪によって、メドレセの門番小屋として建てられたそうです。

 

 

バスに再乗車して旧市街の中心部に戻りました。

 

旧市街の中心 ラビハウズ

 

近くのレストランで昼食。

 

 

 

 

メインはウズベキスタン料理を代表するメニューの一つプロフ(ピラフ)。

地方によって作り方が違うようですが、ここはオーソドックスなピラフでした。

上に乗っているのはニンジンと羊肉。

クセもなく、美味しかったです。米もいい。日本人の口に合います。

他の人達も美味しいと言っていました。

 

午前の部、終了。