昼食後、午後の観光開始。
↑の正面のミナレットはヒヴァで一番高い建物。
この時は登らず、下から眺めただけ。後のフリータイムで登りました。
お次は、ジュマ・モスク。
多柱式建築で、中央アジアで最も有名なモスクの一つであると、「地球の歩き方」には書いてあります。
10世紀に建てられ、現在の形になったのは18世紀末であるそうです。
約3m間隔で、213本の木の柱が林立しています。
柱の彫刻は全て違い、最も古い柱は10~11世紀にホレズムの都から運ばれてきたものであるそうです。
スペインのコルドバにあるメスキータを連想しますが、こちらは古色蒼然としており、煌びやかさはありません。他に人がいなければ、暗がりと外光のコントラストと相まって、神秘的な雰囲気に浸れそうですが、今回は団体ツアーなので・・・
それでも、他の人達と離れ、隅に佇み、しばしの間、自分の世界に浸りました(笑)
ウズベキスタン独特の慣習の一つが結婚式。
結婚式を挙げるカップルは友人達を引き連れ、遺跡等で写真を撮りまくります。今回、あちこちで目撃しましたが、このジュマ・モスクでも。
夜は盛大な宴を催すそうです。新郎側は、殆ど全財産に近い額のお金を結婚式に費やすそうです。オレならば、嫌だなあ(笑)
ちなみに、ウズベキスタンでは、殆どのケースがお見合い結婚であり、まず、新郎の母親が新婦を気に入ることが前提条件のようです。
それにしても、柱の右横のオヤジ、今回、私の写真の至る処で邪魔してやがる(笑)
とにかく、チョロチョロと動き回るんですよ。前稿で掲載した写真でも2枚、邪魔してくれています。
往路の飛行機の中でも落ち着きなくチョロチョロと歩き回っていました。
私がマルちゃんに、ウズベキスタンの事について質問していると、いちいち首を突っ込んでくるし、かなりウザかったです。
私の動きをマークしていたようで、飛行機の中で空いている後方の席に移動すると、しっかり付いてきて近くに陣取るし、笑ったのは、帰国時の成田空港で空いているトイレ(私は第一ターミナルを熟知している)に入ると、追っかけてきやがりました(笑)
観光に戻り、お次はタシュ・ハウリ宮殿。アラクリ・ハンが建立し、1838年完成。
中庭と4人の正妻が暮らしていた建物
続いて案内されたのは、東門近くのバザール会場。
野菜・肉・果物等が売られていました。
ドライ・フルーツを買って行こうかと迷いましたが、この後の行程でも買うチャンスがあるという事で、ここはパスしました。
以上で、マルちゃん引率によるヒヴァ観光は終了。一旦、ホテルに戻り、18時までの約3時間、お待ちかねのフリータイムとなりました。
疲れもあったので、30分程休憩した後、再出撃!
こういう中世にタイムスリップしたかのような風情のある町は、一人歩きに限ります。
これほど素晴らしい観光の町で、ベストシーズンであるのに、観光客は意外なほど少ない。
特に、今回のツアー全行程を通じて、中国人・韓国人客は一人も見ませんでした。
日本人ツアーも、我々とほぼ並行していたクラツーの約30名の団体一つだけでした。
日本人の個人旅行者も、私は女性二人組しか見ませんでした。
ウズベキスタンは、まだまだ穴場なのかもしれません。
元気なうちに登っておこうと、一番高いミナレットへ向かいました。
イスラム・ホジャ・メドレセとミナレット。
ヒヴァ最後のハンであるイスフェンディヤル・ハンの大臣イスラム・ホジャが1910年に建立。
イスラム・ホジャは大変有能で人気があったために、ハンと聖職者によって謀殺されしまったそうです。
高さ45m
かなり暗く、幅の狭い急な118段の階段を登りました。
テッペンは直径1.5m程度の広さで、壁と鉄柵に囲まれている
他に高い建物がないので、期待した通りの絶景でした。
中央のドーム屋根はパフラヴァン・マフムド廟(次に訪問)
その向こうに、カルタ・ミナル(未完成のミナレット)
この後の行程で訪れた町にも高いミナレットがありましたが、登れたのはココだけ。
ヒヴァを訪れたら、ここは登っておいた方がいいです。
我々のグループで登ったのは私だけのようでしたけど。
ミナレットから降りて、パフラヴァン・マフムド廟へ。
ヒヴァの庇護者としてリスペクトされたパフラヴァン・マフムド(1247~1326年)は、毛皮職人で詩人で哲学者で武道の名手であったそうです。
ここの装飾がヒヴァの中では一番鮮やかでした。
ここは共通入場券では入れないのでパスされたのかな?
ちなみに、先に登ったミナレットも別料金です。
有料といっても、150円程度なのですが・・・
お次は東門(パルヴァン・ダルヴァザ)へ。別名、奴隷の門。
1835年建設の門
かつて、この門の近くには、中央アジア最大の奴隷市場があったそうです。
ハンは近隣の住民や旅人を襲って奴隷にしたそうです。18世紀には南下してきたロシア人も奴隷にしたそうです。
東門を入り、抜けた辺りには、今では日用品を売っている露店が並んでいます。
土産物店が並ぶ屋内マーケットも近くにあります。
でも、欲しい物が何もない・・・
一通り、見所は周ったので、あとはグループで見物した所も含めて、ブラブラ歩きまわりました。
名物のラクダ君。有料で、このラクダ君に乗って写真を撮る
別グループも含め、ツアーの人達は数人しか見かけなかったので、殆どの人達はホテルで休んでいたのでしょう。写真で受ける印象以上に暑かったですしね。
やはり、この国を夏に訪れるのはキツイと思います。
18時に再集合して、サンセット鑑賞。
皆で西門近くの見張り台へ。
赤☆が岩手のセレブ夫婦、青☆が信州のオバチャン
ドブロヴニクの城壁は上を歩けますが、ここは無理
夕陽を見送った後、バスで近くのクブラ・トザ・ボグ宮殿 内にあるレストランへ。
歴代のヒヴァのハンの夏の宮殿として使用されていたそうです。
豪華な室内
赤☆はデザートのケーキ、黄☆はスイカ&メロン、青☆は葡萄・林檎・ザクロ
今回のツアーでは、殆ど毎食、スイカ&メロンが供されましたが、これが甘くて、美味しいんですよ。今年、バリ島やハワイでもスイカを食べましたが、ウズベキスタンが一番甘くて美味しかったです。ハワイで美味しかったのは、パイナップルとパパイヤ。
ウズベキスタンの家庭料理マスタヴァ?(米が入ったトマトベースのスープ)
左はマッシュポテト、真ん中上はライス、右は薄いクレープ皮で包んだひき肉
信州のオバチャンは、部屋のゴージャスさに比べて料理がショボイとご不満でした。
「地球の歩き方」には、ここはウズベキスタン伝統料理の高級レストランと書いてあるのですが(笑)
ランチが特に美味しかったせいもあるようです。
でも、私はそれほど悪くなかったと思っています。
特に、米は国外で食べた中では一番美味しかったです。
東南アジアやハワイのようにパサパサしておらず、日本米ほどではありませんが、もっちり感がありました。
マルちゃんも、ウズベキスタンのお米は美味しいと自慢していました。
食後はホテルに戻り、皆、部屋に入って行きました。
私は一人外出し、夜の町を眺めました。
西門
遺跡のライトアップは殆どなく、暗くなった通りには、人は殆どいませんでした。
カルタ・ミナルとホテルにもなっているムハンマド・アミン・ハン・メドレセ
我々の宿泊ホテル。センスは・・・
早朝にタシケントを出発した長い一日でしたが、充実した2日目の観光でした。