10/4~11まで、ウズベキスタン へ行ってきました。ニコニコ

 

古代から、砂漠の中のオアシスやシルクロード利権を巡って攻防が繰り返された中央アジア。

アレクサンドロス大王、チンギス・ハーン、ティムール、ロシア等、世界史の教科書に登場するビッグ・ネームがこの地方を蹂躙・統治しました。

 

中央アジアは全く足を踏み入れた事がなかったので、そろそろ行ってみようかと思い立ち、激安ツアーに参加することにしました。個人で行けない国ではありませんが、色々と面倒臭そうだし・・・

バックパッカーは「苦労も旅の醍醐味」といったような台詞を吐きますが、私は「楽に旅できれば、それに越したことはない」という派です。怠け者で、サラリーマンを辞めたくらいですから。

トラブルには遭いたくないし、別に現地の人との触れ合いも望みません。だって、外国人なんて、日本人以上に厄介なのが多いし(笑)

 

今回は初めて、読売旅行のツアーに参加しました。トラピやクラツーと比較しても、数万円安いんですよ。旅程は殆ど同じ。派手な宣伝(豪華パンフレット送付等)をしていないから安いのかなあ?

 

 

最近は、成田を午前中に発つ場合は、空港近くに前泊します。

今回は成田駅近くのビジホに宿泊しました。いつものホテルと比べると、中国人客が少なかった。朝食は、ゆったりと頂けました。ニコニコ

 

激安ツアーなので参加者は約30名。2グループに分割され、各々添乗員さんが付きました。トラピやクラツーの場合、この人数ならば添乗員さんは一人ですけどね。

予想通り、お客の大半はツアー慣れした高齢者。一人、40歳ぐらい(私の話し相手になってくれた62歳の信州のオバチャンの判定)のキレイなお姉さんがいましたが、残念ながら、私とは別グループに。お近づきにはなれませんでした・・・ ショボーン

私のグループの添乗員さんは、30代半ばぐらい(判定者は前と同)の女性でした。

 

 

初めて搭乗するウズベキスタン航空。独立系なので、マイレージ加算はなし。

機内は撮影禁止。

首都タシケントまで、約9時間半のフライトでした。

 

ウルムチ(ウイグル)近く

 

天山山脈とイシク・クル湖(キルギス)。湖の向こうはカザフスタンの街アルマティ

 

 

 

タシケントに到着し、入国手続きを済ませた時には夕刻でした。

日本語ペラペラの現地ガイド、マルちゃんがお出迎え。お腹ポンポコリンの28歳で、パパになったばかりであるそうです。

 

早速、最初の観光。

ソ連に抑留され、この地で強制労働させられ亡くなった79名の日本人の方々が眠る墓地です。

 

 

昨年の10月、安倍総理もここを訪れました。

 

(外務省HPよりコピー)

 

カリモフ大統領と

 

ソ連時代の1989年からウズベキスタンを統治してきたカリモフ大統領は、9月2日に亡くなりました。アメリカからは独裁体制と見なされていたようですが、国民からの支持は篤く、国全体が喪に服していて、それがようやく明けてきた時期のようです。

 

しかし、カリモフ大統領亡き後、不安定要素があるとか。

”ラスプーチン”佐藤氏の解説によると、南東部のフェルガナ盆地に IS が流入し、第二イスラム国建設の事態もありえるとか・・・

http://www.sankei.com/premium/news/160918/prm1609180034-n1.html

 

ウズベキスタンの内情・実情については現地ガイドのマルちゃんから色々と訊いて来たので、おいおい書いていきます。

 

 

日本人墓地で合掌した後、レストランで夕食。

トラピやクラツーの激安ツアーでは、大抵、2~3皿なのですが、今回はツアー全行程を通じて品数も量も多く、いつも食べきれないほどでした。

これは、ウズベキスタンだからなのかな? 

読売だからというわけではないと思うんですけどね。

 

ラグマン

 

トマトベースのスープで、具も沢山入っています。麺はうどんと同じ。美味しい♪

 

この前に、4人程度で分けるサラダ・前菜類が3~4皿ありました。

これで終わりと思っていたら、つくね(牛肉)のような肉料理が出て来ました。

私はパス。隣席のオバチャン達は全員、完食(笑)

デザートのフルーツ(オレンジ、リンゴ、メロン、キウイ)もありましたが、ピンボケ・・・

 

 

 

食後はホテルへ。

 

RAMADA TASHKENT

 

素晴らしいホテル!

部屋が広い!

設備も文句なし!

 

でも、翌日は早朝出発。早々に就寝しました。

初日終了。