“1年” という時間の経過

これほど早く感じたことはない。

間違いなくボクの60年の人生

最速 であると断言する

 

 

 5年前も10年前も、この1年間と同じように、太陽均一な速度で365回昇ったはずなのに。

 時報は均一な速度で8,760回鳴ったはずなのに。

 腕時計の秒針は均一な速度で31,536,000回カチッカチッと音を立てたはずなのに。

 7時過ぎに学校に着いて、授業準備をして、出欠をとって、朝学活で話をして、授業をして、部活をして、一日の振り返りをして、必要な家庭には連絡をして…。それがボクの日常だった。そんな教員生活から卒業した途端、自由な時間ができたくせに、時間が進むスピードは逆に増したように感じるから不思議なものだ🕛🕒🕕🕘ピリピリ

 もしかすると、これが年を取る」という意味なのかもしれないびっくり

 

 

 今からちょうど1年前 の12月25日。

 ボクは中学3年生を相手に2学期最後の英語の授業をしていた。つまり2024年の最後の授業。これが終われば冬休みに入り、彼らはいよいよ “受験に向けてのラストスパートをかけることになるという節目の授業おねがい

 中学受験経験している子もいるだろう。初めての入試で胸中は不安でいっぱいの子もいるだろう。残り3ヶ月となった中学校生活悔いなく過ごそうと、ヤル気満々の子もいるだろうキョロキョロ

 そうした中、ボクにとっても残り3ヶ月となった教員生活の、生徒たちと過ごす最後のクリスマスクリスマスツリー直前の授業だから、「生徒たちへの励まし」と「ボク自身のケジメ」という想いを込めて歌を歌ったてへぺろ

 

 

 彼らとの出会い は2年半前の春。ボクは1年1組の学級担任。そしてこの学年の英語学習を取り仕切る教科担任だった。

 最初の英語の授業では、NHKの『仕事の流儀・プロフェッショナル』をそっくりに真似た自作の動画 “中学校英語科教師●●●●” を披露した。「英語学習の意義と大切さ「皆で協力しながら学んで共に成長する喜びを擦り込み、彼らの内に秘められたポテンシャルに炎をつけて学習意欲をかき立てるのが最大の目的である爆  笑

 

 

 

 

 

 

 以来、彼らはボクの熱意にしっかりと応え、この日まで英語を楽しみながらついてきてくれた。毎回の授業の冒頭で歌う70年代・80年代の洋楽にも親しんでくれた。教科書には載っていない、ボク独自の面倒な学習課題や発表も、「いらね~」「めんど~い」「ダル~」「さいあく~」などとブツブツ文句を言いながらも、結局のところは実に嬉しそうにやりこなしてくれたチュー

 

 

 思い出を語ればキリがない彼らとの2年9ヶ月に及ぶ英語の授業。その中身を僅か4分程の曲に織り込むのは至難の業だったけれど、これはこれで、忘れられない思い出の1つに加わったのだからとても価値がある。

 という訳で、今日は今から1年前のクリスマスの日の思い出に浸ってみようと思うサンタ

 これから観ていただくのは、そのドキュメンタリー映像(永久保存版)である飛び出すハート

 

 

これまでボクと関わってきた

すべての教え子たちへ

🎄Merry Christmas!

来年も健康笑顔いっぱいの

良い1年となりますように!

 

寒い冬には詩がいい

教え子よ、を読みなさい

3部作

最終回『木』

 

 さあ、それでは前回に続いてでも「16歳未満のSNS禁止法」が施行されないよう、中・高生の皆さんは今日もこのブログを読みながら “詩” について学ぼう。そして自分のにも先生たちにも「ケータイでゲームやYouTubeばかりだと思ったら大間違い!  ちゃんと “詩” の勉強もして想像力を働かせています!」とアピールしなさい!ウインク

 そうすれば、“青少年SNS禁止法施行反対同盟”の会長として、ボクがキミたちを必ず守ってあげるからてへぺろ

 

 

 最終回に読んでもらいたい詩は 『木』。作者の田村隆一は大正生まれで東京・豊島区出身の詩人である。1998年に亡くなった彼の生前の活躍をよく知らないボクは、彼の人物像来歴を知ろうとして “ウィキペディア” を頼ったウインク

 なかなかに波乱万丈な人生を送った人物であることがわかった。そのほんの一部をかいつまんでご紹介する。

 

 

 高校卒業後に東京ガスに入社するも1日も出社せずに退職したとか、学徒出陣で海軍に入隊したが戦地へ赴く前に終戦を迎えたとか。

 

 

 戦後、詩作をはじめ多岐にわたって文学活動を行なったとか、イギリスの推理作家で「ミステリーの女王」とも称されるアガサ・クリスティの翻訳なども多く手掛けたとか。

 

 

 やがて高村光太郎賞読売文学賞現代詩人賞などを次々に受賞したとか、その間に5度の婚姻歴があるとか。

 ちなみに3人目の妻は、やはり文学界に名を刻んだ岸田衿子で、田村隆一と結婚する前の夫はあの谷川俊太郎である。なお、テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』『あらいぐまラスカル』の主題歌の作詞者も岸田衿子!

 

 

 さて、話を田村隆一の 『木』に戻そう。

 実はこの詩、ボクが勤めた都内の某・区立中学校では、2年生の国語教科書(光村図書出版:令和3年度版)に掲載されていた。しかし教科書が改訂された本年度、同じ光村の教科書(令和7年度版)からは姿を消してしまった

 ちょうど今、ボクの目の前にいる中2男子から教科書を借りて実際に確かめてみたが、やはりどこを探しても見つからなかった実に残念えーん

 

 

 

 今の高1の教え子たちは幸運だったね。『走れメロス』を学んだ少しあとに、こんなに素晴らしい詩を授業の中でじっくりと学べたのだからウインク

【学校によっては、この『木』をスキップして授業でやらなかった先生がいるそうな。 詩を読んで自分の考えを広げる(思考・判断・表現)力をつける」ために重要な単元を飛ばしちゃイカンムキー。今からでも卒業生を呼び出して追加で補習授業をやらんとね… 目

 

 

 随分と前置きが長くなってしまった。

 では『木』を読んでもらいましょうチュー

 

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『木』

田村 隆一

木は黙っているから好きだ

木は歩いたり走ったりしないから好きだ

木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

 

ほんとうにそうか

ほんとうにそうなのか

 

見る人が見たら

木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で

木は歩いているのだ 空に向かって

木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ

木はたしかにわめかないが

木は

愛そのものだ 

 それでなかったら小鳥が飛んできて

 枝にとまるはずがない

正義そのものだ 

 それでなかったら地下水を根から吸いあげて

 空にかえすはずがない

 

若木

老樹

 

ひとつとして同じ木がない

ひとつとして同じ星の光りのなかで

目ざめている木はない

 

ぼくはきみのことが大好きだ

 

 

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 この詩の中心に流れているもの、となっているものは「ほんとうにそうか ほんとうにそうなのか」という問いかけだろう。言い換えれば、それは「常識を疑うべし」という問題意識の提唱である。

 「木は風に吹かれながら静かに立っているもの」というのはあくまで一般的な常識だが、そんな木も実は生きていて背も伸びるし、喉は渇くし、文句も言うし、ため息もつく。暑い夏には人間や小動物たちに声を掛けて木陰の下で休ませてくれる。そう考えると、常識は常識ではないことがわかってくるキョロキョロ

 

 その視点で考えれば、「木とは○○というものだ」と一括りで説明する意味もないことがわかるびっくり

 若木、老樹、小木、巨木、細枝、太幹、柔木、堅木、針葉樹、広葉樹、落葉樹、常緑樹、梅、松、桜、杉、檜、桐、欅、柳、楠、柿の木、桃の木、栗の木、リンゴの木、ミカンの木、レモンの木、バナナの木…。

 ひと言に「木」といっても、どれも違うんだな。『ひとつとして同じ木がない』という田村隆一の主張は、したがって真実ということになるてへぺろ

 

 

 そもそも “生きとし生けるもの” に全く同一なものがあるはずもない。ネコの肉球の形も、アリの顔つきも、マダイの鱗の枚数も、カラスのツメの長さも、同じってことは絶対にない。だから、『ひとつとして同じ木がない』のも当然の話なんだよな爆  笑

 

 田村隆一「木は愛のものだ、正義そのものだ」と賞賛したあと、最後に「きみのことが大好きだ」愛の告白を果たしているハート

 そんな田村隆一の単純明快で、一方では深遠で、ある意味では人間味に溢れた表現技法がボクは大好きだ。

 キミはどう思う?

 

やしの木 やしの木 やしの木

 

 ところで、教師を生業(なりわい)としていたボクは、この詩の」を「生徒」に置き換えて読んでみた。

 予想していた以上に意味が通じるではないかびっくり

 いや、それどころか、まるでこの詩が以前から『生徒』という題名で存在していたかのように不自然さが全くない。

 

 なぜかといえば、「生徒も一人一人に個性があって皆違う」し、「教師は生徒に対して先入観を持って接してはいけない」わけだし、「いつも見方を変えて(多方面から)観察し、評価し、支援しないといけな」からだウインク

 

 一度失敗したからといって、「この子はまた失敗する」悲観してはいけない

 一度成果を上げたからといって、「この子はできる」高を括ってはいけない

 学校で忘れ物が多いからといって、「家でもだらしない」と決めつけてはいけない

 リーダー的存在で人望も厚い生徒だからといって、「この子は心配ない。学校生活も充実していると本人も感じているだろう」安心してはいけない

 まだ子どもだからといって、侮ってはいけない

 そのうち大人に成長するからといって、目を離してはいけない

 

ひとりとして同じ生徒はいない

ひとりとして同じ環境の中で

ただ命を営んでいるだけの

生徒などどこにも存在はしない

 

生徒

ボクはキミたちのことが大好きだ

 

寒い冬には詩がいい

教え子よ、を読みなさい

3部作

その2『胸の泉に』

 

 さあ、それでは前回に続いてでも「16歳未満のSNS禁止法」が施行されないよう、中・高生の皆さんは今日もこのブログを読みながら “詩” について学ぼう。そして自分のにも先生たちにも「ケータイでゲームやYouTubeばかりだと思ったら大間違い!  ちゃんと “詩” の勉強もして想像力を働かせています!」とアピールしなさい!ウインク

 そうすれば、“青少年SNS禁止法施行反対同盟”の会長として、ボクがキミたちを必ず守ってあげるからさてへぺろ

 

 

 今回紹介させてもらうのは『胸の泉に』という題名の塔和子の詩。

 

(出所:NHKアーカイブス)

 

 1929年生まれの塔和子は、ボクの両親と同じ愛媛県の出身と同じ昭和4年生まれで、没年は父より2年ほど後になる。それだけで彼女には親近感を覚えてしまうキョロキョロ

 

 

 11歳でハンセン病発病。1952年に完治するも国の政策によりその後も隔離され続けた彼女は、瀬戸内海の島の療養所で亡くなるまで70年にも及ぶ隔離生活を余儀なくされた。

 

(出所:NHKアーカイブス)

 

 そんな絶望的な療養所生活の中、1957年頃から「生きることを肯定的に描き、人間の尊厳を問い続ける詩」を書き始めた。『胸の泉に』は1988年刊行の詩集『未知なる知者よ』に収められている。

 

 

 1988年といえば学生身分だったボクが社会へ飛び出そうとしていた時期。友人たちと夜中に自動車を乗り回し、彼女と海や山へ出掛け、放蕩生活の最後を満喫していた頃だ。

 

 その裏側では、今のボクとほぼ同年齢の詩人が “人間” や “生命” と向き合いながら詩作に命を燃やしていたことなど、ボクは知る由もなかった。

 その後、30代、40代、50代とそれなりに苦労も経験したのちに教員生活から身を引いた60代の今のボクは、ようやく少しだけ、“人間” や “生命” と向き合うことができるようになったかな。

 

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『胸の泉に』

塔 和子

かかわらなければ

この愛しさを知るすべはなかった

この親しさは湧かなかった

この大らかな依存の安らいは得られなかった

この甘い思いや

さびしい思いも知らなかった

人はかかわることからさまざまな思いを知る

子は親とかかわり

親は子とかかわることによって

恋も友情も

かかわることから始まって

かかわったが故に起こる

幸や不幸を

積み重ねて大きくなり

くり返すことで磨かれ

そして人は

人の間で思いを削り思いをふくらませ

生を綴る

ああ

何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人

私の胸の泉に

枯れ葉いちまいも

落としてはくれない

 

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 では中高生たち・受験生たちに聞こうウインク

この詩を読んで何を感じたかい?

 

 特に印象的なのは 最後の5行 だろうか。

 「人の胸には泉がある」という塔和子の主張に、ボクは完全に同意するニコニコ

 人によって泉の広さ深さが違うし、穏やかに揺れていたり激しく波打っていたりする違いもあるけれど、心の中には確かに泉がある。人それぞれに広さも深さも色も静けさも違うのは、他者とかかわることで手に入れた「何か」の中身によるからだろう。

 

 

 場合によって、その「何か」はHAPPYなものであり、心に安らぎや安堵や希望をもたらしてくれる。その時の泉の水面は光の屈折を受けてキラキラと優雅に揺らめき、浅瀬を満たす水は限りなく透明に近いおねがい

 反対に、その「何か」がUNHAPPYなものならば、心に苛立ちや憎悪や失望が生じる要因となる。水中で竜が暴れているのかと思うほど荒れ狂う泉の水は茶褐色に濁り、まるで底なし沼の様相だえーん

 

 詩の中の “枯れ葉1枚” がUNHAPPYなものの例として書かれているのかどうか定かではないが、塔和子「人との関わりがなければUNHAPPYなものでさえ手に入らず、自分の心はいつまでも変化も刺激もないままだ。どんなに些細なものありがたくないものであっても何も手に入らないよりはいいと考えたのかな。ボクはそんなふうに解釈した。

 

 

 70年(ボクの人生よりも長い!)も隔離生活を強いられた塔和子「人とかかわり、ふれあい、喜びや悲しみを分かち合う」という人間として当然の権利を奪われ続けた彼女の心の内を、ほんの少しだけ理解できたような気がした。

 

 キーワードは “かかわる” だ。この詩の中に7回も登場する言葉。

 人として生まれてきたボクたちは、『好む好まざるにかかわらず、人とかかわって(ん? ややこしい文章だ)生きていく生き物であること』を繰り返し教えてくれているようだびっくり

 

親、先生、友だち。

医者、看護師、カウンセラー。

店員、駅員、バスの運転手。

俳優、声優、推しのアイドル。

 

 中学生たちの2学期もあと1週間で終わる。キミたちは今学期もいろいろな人とかかわってきたことだろう。

 2026年だって、いろいろな人とかかわりながら生きていくのだニコニコ

人とかかわる

それは幸せなことだ。

ボクキミたち

かかわることができて

とても幸せだよ。

 

(出所:NHKアーカイブス)