高校文化祭訪問記 

~ School Festival 2025 ~

 

 公立の中学校ではまずお目にかかることのない『文化祭(学園祭)』という高校の学校行事。中学では “合唱コンクール” や “学習成果展示発表会” などを行なうのが一般的で、それらを一体化して大規模な行事としているのが高校の『文化祭』と言えるだろう 学校 ルンルン

 

 とは言え、その内容は中学と高校では全く異なる。

 一番の違いは「運営の主体」「準備期間中も含めたスケジュール管理」を含めて、教員が運営の全てに関わって指導するのが中学校。一方、「各クラスでの出し物(演劇や模擬店など)の決定から予算計画・製作・練習日程」など生徒自身が中心的役割を担うのが高校

 思い出すのは今から44年前の、ボクが高校2年の時の文化祭。クラスで話し合った結果、ボクのクラスでは映画を作ることになった。脚本配役も、撮影機材の手配ロケ地の選択も、編集音楽も、演技指導製作費用の捻出も、それらすべてが生徒たちによって運営された。ちなみに、その自作映画の内容は…

 不治の病を患って自暴自棄になるバスケットボール部員の男子Yお父さん

 その男子に心を寄せている主人公の女子Kお母さん

 とは普段から仲が良く、の病気についてから相談を受けた男子O。でもそのは実はに以前から恋愛感情を抱いていた。そして何を隠そう、そのを演じたのがボクだった。エヘヘ ウインクハッ

 

 他には昭和歌謡・アイドル全盛期だけあって「ウルトライントロクイズ」をやるクラスや、高視聴率を誇ったテレビ番組 “プロポーズ大作戦” の中で、大学別に男性チーム・女性チームに分かれて5人ずつが登場し、集団お見合いをさせる大人気コーナー『フィーリング・カップル5対5』電光掲示による大型テーブルも含めてそっくりに再現したクラスもあって、大変な盛り上がりを見せた爆  笑

 

 実は今年ボクの出身校に進学した教え子(つまりボクの後輩ってことね、44年下の!からの「センセー、母校の文化祭に来ませんかぁ!?」というありがたいお誘いも受けたのだけれど、開催日が8/30、31で、ボクの滞在期間中と重なってしまって行けなかったえーん

 

そんなこともあって、帰国後、

ボクは時間の許す限り教え子の

文化祭に足を運ぶことにした。

 

 今どきの高校の文化祭というのは、デジタル時代だけあって実に華やかだ。パンフレットにしろ、校内装飾にしろ、まるで専門業者に外注したかのような素晴らしい出来映えであるキョロキョロ

 ただし安全上の理由もあって入場規制を行なっている学校が大半のため、ネットで事前予約をしないと入場が許可されない。その上、人数制限があって、予約の画面を開いた途端に「すでに定員に達しました。申し訳ありません」と表示される場合も少なくなかったショボーンこれも時代だねアセアセ

 

 校内に入ると、早速、聞こえてくるのがエレキギターギターの大音量。何人もの教え子たちが高校では軽音楽部に所属して活躍中だし、ボク自身も楽器演奏が大好きなものだから、どの学校に行っても、足が勝手に軽音楽部の会場へと向かうというものだ ルンルン カラオケ ドラム ギター

 

 さすが高校生音響照明ステージの装飾も、まるでライブハウスのようだった。きっと多くのOB・OGたちからのサポートも相当なものだろうことがうかがえた。

 そして演奏歌唱も「さすがだねェ~」と思わせるものが多かった。中にはレベルの高いオリジナル曲を披露するバンドもあったりして、本当に驚かされたウインク

 

 各クラス毎の企画内容も面白かった。定番の「お化け屋敷」「カフェ」、工夫を凝らした「カジノ」「クイズゲーム」「スポーツ体験」、手間暇かけた「縁日」「迷路」など、どれもエンターテイメント性に優れていてとても楽しめた爆  笑爆  笑爆  笑

 

 ある高校でのこと。見学をし終えて校舎を出て正門へ向かう途中、文化祭委員の女子生徒に声を掛けられた飛び出すハート

 

生徒「あのぅ、そこのダンディーなお父さん!」

 周囲には何人かの父親風の来校者がいたけれど、その声はボクに向けられたものに疑いの余地はなかったてへぺろ

ボク「ん、何の御用かな? ボクはダンディー坂野じゃないし、黄色いスーツを着てもいないのに、公衆の面前で大きな声で “ダンディー” なんて恥ずかしいじゃないのさ~キョロキョロ

生徒「だって本当のことですョ。バーコードを携帯で読み取ってアンケートにお答えください!」

 印象に残ったクラス別参加団体、公演・展示、クラスポスターにそれぞれチェックを入れて送信を済ませてから、ボクは学校を後にした。

高校生の皆さん、お疲れさま!

いい思い出ができてよかったね

これから文化祭がある皆さんも

思い出深い2日間になりますように

Well done to all the high school students.
I'm glad you were able to 

make some great memories.
I hope that those of you who have

school festivals coming up

will have a memorable two days.

中3生には大事な大事な

2学期中間考査が始まる 

受験生応援しよう サーフィン 2025 ~

 

 “残暑”と呼ぶには厳し過ぎる、真夏晴れのような暑さ炎が今なお我々を襲っているえーん

 昨日の17日(水)も、関東以西では最高気温35℃以上の猛暑日が51地点で観測され、これで今年の全国の猛暑日の延べ日数は10382日に到達。過去の記録を大幅に更新した去年の10273日を上回って記録更新中であるびっくり

 今日(18日)だって、午前6時発表の気象庁による東京の最高気温予想は36℃!

 

 先日まで訪れていたでは、気温が35℃を超えるような高温に見舞われたり、教室内の温度が26℃、27℃を超えて蒸し暑さが増すような状況になると、暑さによる健康のリスクを避けるために学校長の判断等によって学校が休校になる “Hitzefrei” という制度がある。の学校にエアコンなんてないからね。

 実際に、ボクの子どもたちがの小学校に通っていた当時も、この “Hitzefrei” によって登校して間もなく自宅に戻されたことが何度かあったっけ。

 

 それなのにでは、いくら気温が上昇しようとも学校が休みになることなどない。ましてや、今日から『2学期中間テスト』が始まる中学校も多いけれど、テストが延期されるようなことはあり得ない。子どもたちから「ああ、に生まれたかった!」という声が聞こえてきそうだチュー

 

 そんな健気な中学生たちをボクは放ってはおけない。何でもいいから彼らの役に立ちたいとボクが勝手に思った末の、今回のブログであるウインク

 

 英語教師の立場として、ボクはすでに何度か、「試験に臨む姿勢」や「出題者側の意図」についてブログを書いてきた。参照『梅雨とテストと、時々、ヒント』(6月11日)、『期末考査…先輩たちの反省から学べ』(6月13日)、『ツバメと試験と、時々、つば九郎』(6月17日)】 

 でも今回は “英語” ではなく “社会”、特に “歴史” についてのヒントを授けたい。その中でもボクがフォーカスを当てたのは、『異国船打払令』である。

 何故かって? 江戸幕府がこの命令を発したのが1825年(文政8年)、つまり今からちょうど200年前のことだから。それだけで興味がわくし、記憶にも残るだろう⁉

 

 それでは今から “ウィキペディア” と “日本史事典.com” の力も借りながら、『異国船打払令』について簡単に復習しようと思うチュー

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背景・理由

●江戸時代、幕府は長く鎖国政策をとっていた。

●鎖国政策とは「キリスト教の布教の防止」「貿易の管理を目的とした諸外国への対外政策」を指し、当時は朝鮮、中国、オランダとの間でのみ貿易を行なっていた。

●ロシアやイギリスの軍艦が交易を求めて日本近海に現れることが増え、またアメリカの捕鯨船などが寄港地を求めて日本に立ち寄ることもあり、幕府は対応に苦慮していた。

●幕府は日本に立ち寄った外国船に対して飲料水・燃料の補給を認める文化の薪水給与令を1806年(文化3年)に発令。

●同年と翌07年の文化露寇【ロシア帝国から日本へ派遣された外交使節のニコライ・レザノフが部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた事件=フヴォストフ事件を受けて文化の薪水給与令撤回

代わりにロシア船を厳しく打払う「ロシア船打払令」発令。

●1808年(文化5年)にフェートン号事件【イギリス軍艦であるフェートン号が長崎港に侵入し、オランダ商館員を人質にとり薪水・食料を強要】が起きる。

●1824年(文政7年)には大津浜事件【水戸藩の大津でイギリス人が捕鯨のために日本に上陸し、船内に病人がいることが分かった水戸藩が、野菜や水を与えたことが非難された】宝島事件【薩摩藩の宝島にイギリス船が来航し島民に牛を要求。島民が断るとイギリス人20~30人が上陸し牛3頭を強奪、薩摩藩の役人らがイギリス人1人を殺害】が起きる状況の中で打払令が出された。

 

内容

●日本の沿岸に接近する外国船は見つけ次第に砲撃し、追い返すよう定めた。また、上陸外国人については逮捕又は処罰を命じた。

●清・朝鮮・琉球の船は対象外で、オランダ船は長崎以外では打ち払うとされた。

●しかし、日本人漂流漁民7人を送り届けたアメリカ商船モリソン号をイギリスの軍艦と誤認して砲撃したモリソン号事件は日本人にも批判された。

●日本では大国と認識されていた清がアヘン戦争で惨敗した事実により、幕府は西洋の軍事力の強大さを認識し、1842年(天保13年)には異国船打払令を廃止し、遭難した船に限り補給を認めるという「天保の薪水給与令」を出して、文化の薪水給与令の水準に戻すことになった

●阿部正弘の政権の下では外国船の出没が頻繁になったため、打払令の復活の可否が議論された。しかし、沿岸警備の不十分さを理由に打払令の復活は撤回された。

 

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 ということで、ちょうど200年前は「外国船を見つけ次第、有無を言わせず片っ端から砲撃して追い返す」というもの凄く乱暴な政策がとられていたんだなびっくり

 

あ~、よかった~、ボクは

   200年間に生まれてなくて。

 

 アメリカ人もイギリス人もロシア人も大好きで、こんなにも平和主義者のボクもし文政の時代に生まれていたならロシア人のレザノフ君やフェートン号艦長であるイギリス人のペリュー君をこっそり上陸させて我が家に泊めてあげて、得意料理のお好み焼き冷やし中華をご馳走するのと引き替えに、レザノフ君からはコサックダンス(実は、コサックダンスはウクライナ発祥の民族舞踊)を、ペリュー君からはサッカーを教わっていたはずなのだ笑い泣き笑い泣き

 そしてそれが幕府にバレてしまったボクは、即座に打ち首の刑に処されてしまうか、少なくとも島流しは免れなかったのであるえーんえーん

 

中学生よ、受験生よ!

英語社会張ってね!

そして「世界平和」の意識も

忘れちゃいけないよ!

滞在記最終回

Deutschland-Reisetagebuch: Letzte Folge

~ 浪漫飛行 ✈ 2025 ~

~ Romantischer Flug ✈ 2025 ~

 

日本に戻ってから1週間が過ぎた

Es ist eine Woche her,

seit ich nach Japan zurückgekehrt bin.

 

でも随分と遠い昔のことのように感じるキョロキョロ

Aber es fühlt sich an, als wäre es so lange her.

 

 10年振りに戻ったドイツでの2週間

嬉しさ懐かしさ美味しさ

フルコースだった爆  笑

Die zwei Wochen, die ich nach zehnjähriger

Abwesenheit in Deutschland verbrachte,

waren voller Freude, Nostalgie

und köstlichem Essen.

 

それらの記憶を忘れちゃいけないということで、

今回の『浪漫飛行 2025』の思い出たちを

写真とともにこの場に記録しておこうと思うてへぺろ

Diese Erinnerungen dürfen nicht in Vergessenheit

geraten und deshalb möchte ich hier

meine Erinnerungen an diesen

“Romantischen Flug 2025” fotografisch festhalten.

 

しっかりと記録に残しておかないと、

60歳に達したボクの記憶中枢の機能は、

どうも最近、誤作動を起こしがちだからね。

Wenn ich keine ordentlichen Aufzeichnungen

führe, scheint mein Gedächtniszentrum

jetzt, wo ich 60 Jahre alt bin,

in letzter Zeit nicht richtig zu funktionieren.

 

テーマは「」「動物」「乗り物」「日本」の

4つに絞った。

Die Themen wurden auf vier eingegrenzt:

Menschen, Tiere, Fahrzeuge und Japan.

 

食べ物」も加えようとも思ったけれど

毎回ボクを満腹にさせた

悪魔のように美味しい料理の写真

皆さんに見せてしまったら、

『そんなに美味いものばかり

食べていやがったのか。

ふざけるな。俺にも喰わせろ。

喰わせないと一生恨んでやるぞ!』

といった誹謗中傷のコメントが殺到する

だろう。それを未然に防ぐため、仕方なく

テーマから除外することにした。

Ich hatte überlegt, “Essen” hinzuzufügen,

musste es aber ausschließen, um eine Flut

von Beschimpfungen zu vermeiden, wie etwa:

“Du hast so viel Leckeres gegessen?

Das ist nicht dein Ernst. Gib mir auch etwas.

Wenn nicht,

hasse ich dich für den Rest meines Lebens!”,

wenn ich allen Bilder von dem teuflisch leckeren Essen

zeigen würde, das mich immer satt machte.

Deshalb habe ich mich widerwillig dazu entschieden,

es aus dem Thema auszuschließen.

 

 

 で出会った人々

Menschen, die ich in Deutschland getroffen habe

 

壁に腰掛けるお婆ちゃん

 

言い争うブロンズ像の2人

 

熱狂的なサッカーサポーター

 

ハーレー・ダビッドソン愛好者たち

 

スーパーモデルたち

 

地元の中学生

 

地元の高校生

 

地元のご夫婦

 

ロングコートチワワを抱えた自転車の男性

 

 

ー で出会った動物たち 

Tiere, die ich in Deutschland getroffen habe

 

ラブラドゥードルラブラドール・レトリーバー × プードル)

 

カナダ雁(ガン)

 

シー・ズーの兄弟たち

 

無数の羊たちの群れ

 

娘が飼っているネコ①

 

娘が飼っているネコ②

 

 

ー で乗った乗り物 

Fahrzeuge, die ich in Deutschland gefahren bin

 

電気自動車(メルセデスベンツ)

 

路面電車

 

自転車

 

オートバイ(ハーレー・ダビッドソン)

 

電動キックボード

 

 

ー で見つけた日●本 

Das Japan, das ich in Deutschland entdeckte

 

ユニクロ

 

カップヌードル

 

日本人学校

 

 

次にに行けるのは

いつになるのかな

Wann kann ich das nächste Mal

nach Deutschland reisen?

 

そのときは

どんな素敵な

どんな美味しい食べ物

そして、どんな驚き

ボクを待っているのかな

Ich frage mich,

welche wunderbaren Menschen,

welches leckere Essen und welche

Überraschungen mich dann erwarten.