お疲れ様です。


僕です。


何もしてないと家族との昔の出来事が思い出されます。



夫婦喧嘩をし外に追い出され鍵をかけられ締め出される母親。


助けに行こうとすると父親から獣の咆哮のごとく怒鳴られ止められる。


そして翌日母親からなんで助けないのだと雷鳴のごとく怒鳴られる。


なぜだかわからない。


まだ6歳の僕が腕力で敵わない父親の手を振り切りどうやって助けることができると思っているのだろうか。


普通に考えればわかることのはず。


にも関わらず僕が父親に手を捕まれ


ぶん殴られ鳴き叫び押し入れにふっとばされても


もちろん母は助けに来ないし母に助けを求めたことはない。


そのあと母から慰められることもなくただそんな毎日を過ごしながら月日が流れていくだけ。


せめて慰めの言葉だけでも欲しかったなと今さらがらに思う。


それは母親の腕力で父親に適うわけがないから助けることができないのは仕方のないこと。


もう自分が我慢していればいいのだと悟っていた。


無関心なのだろうか


現実から逃げたいのだろうか


なぜなのか分からない。


理解できないことほど苦しいものはないないのです。


今更こんなことを垂れ流す僕は甘ったれかもしれない。


だけれども見たくない感情を見ないようにして蓋をして何かが変わるだろうか。


そんなんじゃなにも変らない。


見たくないグロテスクな感情を


えぐり倒し


ほじくり回して


自分と向き合い答えを出すしかありません。


まさか最近になって過去の出来事がフラッシュバックするとは思いませんでした。


悪夢で目が醒めます。


子供の頃には他人の家庭と自分の家庭を比較したりしません。


他人の家庭の中は見えませんからね。


他人の家庭というのは大人になるにつれ友人の結婚や家族間の話を聞く機会があることで見えてくるものがありますね。


今までは過去の出来事を思い出さないように閉じ込め何事もなかったことにしていたことに今更ながら気づきました。


子供の頃は貧困な語彙力のせいで


起きた出来事を言語化出来ず


ただただ立ち尽くすしかなかったことが


言語化できるようになり


僕自身がどんなことを当時に感じていたかを


今ではこれでもかというほどに理解できます。


もうお腹いっぱいです。


言語化したことでの苦しいこともありますが


言語化出来ずに立ち尽くすよりはましなことです。


苦しいけれども

自分に蓋をしていた過去の出来事や感情に向き合う事というこから逃げないようにしたいと思っています。


本はそんな僕の救いであり過去と向き合うきっかけを与えてくれ


そして相談相手でもあり


本がなければ僕はどうなっていただろうかと考えると本があって良かったです。


そのへんで野垂れ死んでいたかもしれません。


とりあえず前を向くしかありません。


ここまで読んでいただいた方


本当にありがとうございます。