私は44歳、小3と年長の2児のママ、
夫婦二人で共働きの会社員。私は5年位、時短勤務で平日6時間、在宅&出社頻度半々。
そんな中でも自分時間を大切に過ごしてる。
自分時間を大切に過ごしてきたのは、5年くらい前、
娘が乳児の時に知り合った友達に、フランクリン手帳を教えてもらったことから。
それ以前にも私は自分時間を大切に、そして、自分のことも大切に、自分を好きになろうと向き合ってきた。
ただ、具体的にリストに書いたりではなく、
シングルの時期は、やりたいこと・興味があることだけを、本能と直感のまま、行動してきた。
自分サイズで。
やりたい事・興味 は、
いつも自分の環境から結びついて、実践に繋がっていて。
今思うと、友人環境や仕事環境って、自分のこの先の人生にとても大きな影響を与えている。
【20代】
・銀行員がつまらなくて、4ヶ月で退社
・その後は、パチンコ店とガソリンスタンドを掛け持ちバイト
★年下の彼ができる
・ガソリンスタンドの客待ち中に求人雑誌で「仲居業派遣」を見つけて飛び込む
★年下の彼をおいていく
★住み込み仲居を選んだ理由:実家を出たいが出資金がないので住み込み出来るのが魅力的、そして、着物にも興味があったため!
★着物を着ると、シャキッとして、自分が一回り成長したような気分になるのが好きだった。
・三重県鳥羽市の旅館で、住み込みの仲居を経験
・立て続けに、長野・福井の旅館でも仲居を経験
★さすがに遠距離で疲れ、彼とは別れる
・その中で、仲居仲間が外国人のお客さんに英語で会話しているのを聞いて「英語で話す」ことへのあこがれを持つ
★昼は仲居、夜はスナックで働き、お金を貯める
・ニュージーランドへワーホリへ
★まずは語学を学び、その後、日本人のいないレストランでも勤務する。が、自分で辞める。
★韓国人が経営するカフェで勤務
★ニュージーランドには多くの日本人がいたけど、「英語を勉強しに来た」ことから、日本人とも英語で話す。ので、軽い気持ちの日本人は私の周りに寄り付かなくなるw
★カフェで、現在の主人(日本人)と出会う。やはりはじめは英語で会話してもらっていたが、、、初デートで日本語解禁となるw
★彼とは友達として、ニュージーランドを2人で、3か月かけて車で1周する
・帰国し、実家での暮らしが窮屈となり、再度仲居として兵庫の旅館へ
・彼がいる東京へ上京、カフェでバイト
・数か月東京で自由に暮らしたが、親にお金を借りたりしていて、彼のアドバイス「まずは1年、ご両親を安心させること」の約束の元、実家へ
・実家(岐阜)で1年、リクルート営業(飛び込み担当)頑張る。楽しいと思えることが少ない仕事だったなー
・彼とアジア旅行へ数週間、その後、タイ・ベトナム・カンボジア・インドを6か月バックパッカーとして一人旅
・ネパールに行く前日に体調不良で入院、インドの大使館より、「一度日本に帰って体調戻しましょう」で帰国
・彼のもとへ上京。同棲生活スタート
★まずは派遣で役員秘書として働くが、暇でYouTubeでビヨンセみたり、それがばれたりw
【30代】
★先輩が退職し、自分がメイン秘書としてやらなくてはの自覚が出てくる、後輩もできる
★その後の秘書としての毎日は本当に楽しかった。
★★彼とニュージーランドで知り合って8年で、結婚
★★5年後に、第一子出産
・産育休取得後に会社に戻ると、秘書ではなく、人事部に配属され、暇~な毎日、自分はもっと働きたい!で、転職
・ベンチャー企業では、毎日の動きが早く、時短ではついていけず精神的にもハードで、妊娠もわかって、退職
【40代】
★★第二子を出産
・区の補助を受けベビーシッター利用しながら、派遣でお世話になった会社の契約社員として就業開始、のちに二人とも保育園入園
・時短契約社員から、採用試験を経て、時短正社員となる
今に至る
人生とは、その時の環境、友人関係や職場関係によって、大きな転換になっていく。
だからやっぱり、行動しないと何も変わらない。
家の中でずっと考えているだけでは、何も変わらない。
悩んでいるときこそ、外へ!
私は外へ出るタイプだから言えることだけど、そんな私も家から出られない時期もあって。