科学、芸術、政治、ファッション等あらゆる分野で、最先端を行く国であって、
最も古い雰囲気も残す、遊び好きの国。これがフランス。
この国を作ったのはフランス人だが、その中心になったのは王朝の
一族であろう。 やはり無視できないし、混乱する前に整理したい。
17世紀から19世紀のフランスを言う時、ブルボン王朝と呼ぶのは政治体制に
着目した呼称であり、文化という意味では、ルイ王朝と呼ぶのが習慣の様だ。
日本でも、ほぼ同じ時期を江戸時代と呼び、文化面に目を向けるときには、
徳川時代とか元禄時代と呼ぶのと同じかな?(自信なし)
ヨーロッパの王様達には5つの関門があった。
1.王位を奪い取り、敵に奪われない武力と政治力が必要。
2.宗教的な反目で、教会筋や民衆筋と王家の宗教との折り合わせ。
異教徒の他に、カトリックとプロテスタントの対立。これ大変でした。
ルイ13世の父アンリ4世は有能で人徳者だったが、暗殺された。
3.王位を継承するために男児の誕生を強く要求された。
王家の子作りは遊びではなかった(笑)。イギリスの女王制度は別。
4.他国に自慢できる文化がどれだけあるか?
子供の玩具の自慢比べそのものです(爆笑)。
5.王様や王妃の人徳に人民が懐き、尊敬しているかの問題。
神話時代の「王は神なり」は通用しなくなっていた。ルイ16世やアントワネットは
その歴史の流れを、読みきれず自分の民を力で抑えて、酒池肉林を貪った。
僕は庶民で良かった。
遠くルイ13世の時代に、パリから遠く離れたベルサイユ村に広大な狩猟場を確保し、犬小屋程度の館を造っていた。
太陽王ルイ14世が、絵画、彫刻、建築などの視覚芸術に加えて、
「音楽」や「文学」などの成果を取り入れたヴェルサイユ宮殿を造った。
後の王達は改造・修復程度で、ルイ15世なんぞは一分解体させた程だ。
図3.ヘラクレスの間 3枚
このままでは尻切れトンボですね。
もう理屈は書きませんので、明日、続きの画像だけでも御覧下さい。