ヴァイキング、ロシア・キリスト教
昨日述べたヴァリャーグ人とはスラブ語でヴァイキングとして良く知られる。
スカンディナヴィア人とも言う。ゲルマン民族であり、その1派がここロシア
の起源を作り、もう1派はイギリスの起源になった。
彼らの家に子が生まれると、父親は剣を抜いて赤ん坊に向かい、
子の両手の間に剣を置いて言った【お前には如何なる富も遺さない。
お前が所有するのは、この剣をもって自らの手で得る物のみだ】
イブン・ルスタ アラブの学者
ヴァリャーク人は軍事に長け、交易に基づく文化を持ち、
ロシアにおいて優勢な民族になった。
キエフという地名は今日のウクライナ共和国の首都と同じである。
9世紀から11世紀に掛けて、ヴァリャーグ人は地図に示す通り活躍した。
表現を変えると皆さんご存知の海賊行為である。
バルト海、地中海、黒海、カスピ海は勿論であるが、内陸の森林地帯や
ステップ地帯を流れる川も重要視した。
最初はノヴゴロドを根拠地としたが、戦略的に有利なキエフを首都にした。
950年頃から、ポーランド人、リトアニア人、フィン人の土地を奪い、1030年
頃にはノヴゴロドも抑えて、ヨーロッパ最大の連邦国家を作った。
2.諸公国とノヴゴロド共和国
軍馬はスーラの彼方にいななき、キエフに勝鬨がとどろく。
ノヴゴロドに勝利のラッパが響きわたり、軍旗はいちはやくプティヴリに
立つ。 『イーゴリ軍記』12世紀後半
商人であり、戦士でもあったヴァイキングの支配のもとで、
キエフ・ルーシは拡大し、11世紀にはヨーロッパ最大の連邦となった。
国王ヤロスラフは死の直前に、5人の息子に領土を分け与えた。
それがきっかけとなり、一族同士の反目が何代も続き、独立した諸公国が
争うようになった。国境の襲撃、十字軍によるコンスタンティノーブルの陥落、ドイツ人十字軍のチュートン騎士団の侵入などの間隙を縫い、
ノヴゴロド共和国が1136年に完全独立した。
全国に300の都市が建設され、ルーシは激変した。
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ウラジーミルは自身と臣民が神を知ったことを喜び、天を仰いで言った。
「おお、神よーーー汝の新しい民をご覧あれ。そして、主よ、彼らに汝を
神と知らしめたまえ」 『原初年代記』
988~989に設立されたロシアの東方教会は、以後1000年にわたって
権力と威信を拡大した。その間には残忍な迫害の時代もあった。
キエフ大公のウラジーミルはビザンチン帝国皇帝の妹と結婚し、
キエフ・ルーシはキリスト教に改宗した。
そのことによりスラブ民族も2つに分割され、後に激しく憎み合うようになる。
クロアチア人、ポーランド人は西方教会(ローマ・カトリック教会)に、
セルビア人、ブルガリア人、ロシア人はコンスタンチノーブル管轄下の
東方教会(ギリシャ正教会)に改宗したのである。
この改宗はロシア芸術の発展に大きな影響を与えた。
提示画像はアンドレ・ブリョーフによる「三位一体」の聖像画イコンである。
木版にテンペラ技法で描かれ、ロシア正教の信仰に不可欠だった。
貧しい農民や農奴もこの宗教を受け入れる基礎母体となった。
・・・静にロシアの風が流れます。
【参考資料】
1.世界大地図館 テクノアトラス 小学館
2.地図で読む世界の歴史「ロシア」 河出書房新社
ジョン・チャノン(ロンドン大学)
ロバート・ハドソン(ダービー大学)
桃井緑美子 訳、 外川継男 監修