岩手の被災地
7月9日(土)大阪伊丹空港8:10発の便で岩手の花巻空港へ。私の兄が盛岡に住んでいることもあり互いの仕事を調整して一緒に被災地を訪問しました。
花巻から国道283号線を一路東に向かいます。途中まで高速道路ができているのですがその距離もわずかでひたすら山道を右へ左へJR釜石線と平行に走ります。途中民話の故郷で有名な東野を通ります。夏の日差しを浴びた雄大な山々ときれいな清水を集めキラキラと光る川が何ごとも無かったかのように出迎えてくれます。
一時間ほど走って釜石の町に近づきました。この町はなんと言っても新日鉄釜石が有名です。大きな製鋼所の建屋がならびそこに被害は感じられません。しかしすこし海岸よりに近づくと確かに普通と異なります。町は人がなく静かでただ夏の日差しがじりじり照り返しています。道路は清掃されてさほどかわりません。しかしよく見ると両側のお店は正面から奥が筒抜けだったり、ガレージがいかにも開かないような歪みだったり。流れてきた舟が突き刺さっていたり。あのテレビでみた光景が目の前に続々出現してきます。傍らにガレキを寄せただけで何も手付かずの状態です。
被災地の応援でしょうか、神奈川県警のおまわりさんが交差点で交通整理をしていました。4ヶ月過ぎているのに交差点の信号がまだ機能していないのです。
次に山道に入り20分くらい45号線を走り大槌町を訪問しました。下の写真には大槌町役場とビジネスホテルが写っています。一番下の写真は岩手日報の写真集をコピーしたものです。この写真の中央に大槌役場とその上方にビジネスホテルが確認されます。役場の時計は3:30分を指して停止していました。14時46分が地震の発生時刻なので約1時間は動いていたと思われます。2階建ての鉄筋ですので天井まで波を被ったと思われます。ビジネスホテルは4階建てなので最上階まで波がとどいたのでしょうか? オーナーは兄の知り合いとか・・・言葉も出ません。いずれも鉄筋建造物なので形だけ残りました。周囲は根こそぎやられています。ここでは約1,600人(一割以上)の方が犠牲になったといいますが、確かに想像を絶する光景です。町長さんまで亡くなっています。
セピア色で記憶に残る広島の原爆投下後の写真、東京大空襲、大阪空襲の写真に酷似しています。
覚悟した気持で臨んだのですが、あまりのすごさが続くのでなんだか大被害状態に感覚が麻痺してきます。家一件、船一ソウ、車一台の破壊、それぞれが深刻な被害なのにそれが何千箇所何千件と果てしなくつづく光景を目の前にすると普通の感覚ではいられなくなるのかも知れません。
大槌町は以前から一度は訪問してみたいと思っていました。井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」や人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったとても美しい海岸をもつ港町でした。
早く復興していただき、その節にはまた訪問させていただきたい・・・とは思うのが普通なのでしょう。しかし、はたして冷静に考えると、この町はどのように復興すればよいのか、何年かかるのか、誰がやるのかまず手を付けるのはやはり国なのか、各市町村がやれるとは思えませんが、いつまで待ってやってもらえるのか、そう考え出すと生き残ったこの地域の人々が気の毒でなりません。
その後、陸中山田と宮古を訪問しましたが全く同じ光景でした。人は自然の威力の前では何んとも弱い存在だとつくづく考えさせられます。
道路脇で手を合わせただただ祈りをささげるしかありませんでした。この際、きっと現れる日本の真のリーダーの存在を信じたいと思います。皆んなが少しでも彼に力を与えて復興と復活が進めばよいと思うのです。


