独立自尊是修身

これは弊社の1月のテーマの言葉です。毎月のテーマを決めてその言葉の意味を深く理解して仕事や生き方の指針にしてゆこうという考えで毎月テーマを変更しています。朝礼で一日一人ずつ自分なりの言葉の意味をとらえて感想などを発表してもらっています。

今月の「独立自尊是修身」は今までになく若い社員には難しそうなテーマとなりました。この言葉を決めた直接のきっかけは昨年九州の大分県中津市に旅行に行った先に福沢諭吉館を訪れたことにあります。記念館に入るや否や大きい掛け軸に書かれていたこの言葉が目に留まりました。また持ち帰ったパンフレットにも言葉の意味と一緒に紹介されていて福沢先生が日本人の後世に残したかった想いを凝縮されたのだと思いました。

「心身の独立を全うし、自らがその身を尊重して 人たるの品位を辱めざるもの、これを独立自尊の人という」

時代の背景は米国やヨーロッパなどの列強に対抗するため、西欧の科学や行政の知識を学び産業を興して社会基盤を固め強い国づくりをしなければと知識人は皆考えていたことだと思います。福沢先生も日本の使節の一員としてアメリカに2度、ヨーロッパに1度行かれ日本との国力差を自分で確かめられています。日本が独立国家として強くしてゆかなければ植民地にされてしまう危険を感じていたのだと思います。

同時に地方では藩の制度がなくなり士族が平民になりました。俸給としての禄を失った士族の多くが不満分子となって方々で反乱まで起こしております。福沢先生は同じ士族出身なのでそういう人々に対しても感情的には理解を示して政府の鎮圧を和らげるように依頼もされています。しかし新しい時代に入ったからには、禄をもらわなくても自分で生活費を獲得するため学問と技能を身につけることが必要だと言いたかったのです。個人の独立心がなくては国家も強くなれないことにもなります。

禄を失っても時代に合わせて前向きに進もうとする多くの若い士族に対して確実に浸透し、時には励しとなる輝かしい言葉だったと思います。

福沢先生の自叙伝に記されていた若いころの面白いエピソード2点挙げてみます。

まず、幼少のころからお酒が大好きでした。青年になるにつれ大酒呑みにもなりましたが、ただ飲むのではなく、酒の良し悪しが実に良く判断できるほどの味覚を持ち合わせていました。金があれば旨い酒を少ないときは普通の酒を、人が来ると昼間からでも酒を飲んだといいます。酒が大好きだったのは以外でした。

福沢先生は若いころ大阪の緒方洪庵先生のところで蘭学(オランダ語)の勉強をしていました。塾長までなったのですが、もともと下級士族の息子なので常に貧乏であったようです。緒方洪庵先生は筑前の国の殿様である黒田美濃の守と親しくある時、江戸からの帰途に大阪で2日ほど宿泊する機会がありいつものようにご挨拶に行ったようです。そして殿様が80両もの大金を出して購入した蘭学書を借りてきたそうです。千ページもある中から150ページの電気理論(エレキテル)を紹介しているページを書き写してしまおうということになり2日かがりで実行したのです。一人が読み一人が筆をとり、腹が減ったら、煙草が吸いたくなったら、トイレに行きたくなったら、などそのたび毎に30名の塾生が入れ代わり立ち代りリレーして昼も夜も連続して文章も図も全て写本したのだそうです。時には翻訳もして販売し生活の足しにもしたようです。

学者然とした人物ではなく自分の生活費は自分で稼ぐという実学だからこそ今でも幅広く尊敬されているのだと思います。


ラジオ英会話のテキストを社員有志と毎朝一緒に読んでいます。ラジオを聴くのではなく単に交代で声を出して読むだけです。長いこと英語をビジネスとして利用してきて英語を覚えるコツはひたすら声に出して朗読することに尽きると今でも思っています。上達できるというより何とか続けられるコツと言い換えることができます。ラジオ英会話の先生は遠山顕さんです。若い時からお世話になっているので、きっと30年以上続けているのだと思います。私はビジネス英会話だったりラジオ英会話だったり気分を変えて利用させていただいております。


今月のテーマは「スポーツ」です。

そこで大変気に入った英語が紹介されています。


米国の作家ルイス・グリザードがアメフトに喩えています。


The game of life is a lot like football. You have to tacke your problems, block your fears, and score your points when you get the oppertunity.


人生のゲームはフットボールによく似ている。問題にタックルし、恐怖をブロックし、チャンスが来たら得点しなければならない。


ラグビー日本代表がワールドカップで3勝しました。すごい盛り上がりでルールも詳しく知らないのに夢中でテレビ観戦させていただきました。この英語をながめるとアメリカ人も同じような気持ちで自分を奮い立たせて問題にアタック、恐怖をブロックしているのかと仲間を得たような気持ちにさせてくれます。



その時、私は2015年近畿大学入学式の会場にいたのです。


大変広い会場なのですが何しろ新入生が7,000人も出席するので保護者は別の控室で入学式が終わるのを待つ手順になっていたのです。


先に、保護者の私がなぜ会場に入れたのがをお話しします。私は黄徳生君という学生の保証人になっています。彼は台湾で商社を経営している経営者の息子です。弊社と長いビジネスのパートナーになっている彼の父親は、息子を日本に留学させたいという意向があり、日本語を学ぶため近畿大学を選んだのです。そして日本には沢山のパートナーを持っている中でうれしい事に私に保証人になって欲しいと依頼されたのです。留学生はもう子供ではないのですが見知らぬ場所での入学式ということで、大学側が配慮して留学生の保護者だけは入学式の見学に同伴してくださいとの意向だったのでしょう。10名ほどの留学生の保護者はたったの3人だけでその内の一人が私だったのです。


思えば私も数十年の昔に自分の大学の入学式に出席する機会があったはずです。田舎から東京に出てきての入学式は面倒で学校が決めたことなどに無関心を装って出席しませんでした。それ以上に受験に疲れたように、学校に入って勉強をしてそして社会に出て、何となく決められた職業について生きてゆくのだろうと思うと不安の方が強く身近な事に積極的になれなかったように思います。そんな当時の気持ちが懐かしく、私のような若者ばかりではないのだろうけれども見た目には青春まっただ中の若者が集まる入学式にあらためて出席してみたいという気持ちがありました。


また保護者として入学の手続きを手伝いながら書類や学校とのやりとりを通じて、言葉も十分に知らない徳生君が異国の地で暮らし勉強することの大変さをつくづく感じました。冷蔵庫や洗濯機を買うにしてもガスや電気のことを契約するのも大体のことはやってあげましたが、これからは殆ど自分で日本人の中に入って生きて行かなければなりません。当たり前のことではありますが私が彼に置き換えたら本当に大変なことだと思ってしまうのです。こうして彼にとって外国語である日本語と日本の習慣を生活の中で学んでゆくのだという実感を感じます。徳生君にとって留学は結構タフな自分史になることでしょう。


そんな理由があって数少ない保護者として近畿大学の入学式会場に入れたのです。


さて、つんくさんがプロデュースした入学式のステージはまるでライブコンサート会場と同じで、体全体に響いてくるスピーカーの音楽とリズム、女子大生を特訓して作り上げたという歌と踊りは人気番組で出てくるモーニング娘くらいの迫力と華やかさです。アカデミックな応援団、チアリーダー、ブラスバンド、よさこい踊りなどが交互に加わり盛り上がりがピークに来たとき白い煙の立ちこもる中から階段を下りてつんくさんが笑顔でステージ中央に立っていました。FM802のDJをしているマッキーの司会でつんくさんが紹介された時は会場も最高潮の盛り上がりです。


マフラーを首に巻いたつんくさんは、笑顔を振りまき手を振って登場してきました。大きな拍手がしばらく続いて静かになったので祝辞を述べるのだろうと思いました。しかしマイクが故障しているのかな、カゼでもひいて声が出ないのかな、飲み過ぎで声をつぶした?、会場の学生も私しと同様に思ったのでしょう、声がないステージがちょっとおかしいのでクスクス笑い声すら起こっている状況でした。


と、そのときモニターに声の無い理由が文字で表示されてゆくのでした。


「なぜ、今、私は声にして祝辞を読み上げることができないのか、それは私は声帯を摘出したからです。去年からのどの治療をしていましたが、結果的にガンが治りきらず、摘出より他なかったから一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びらびました。またふりだしです。


<途中省略>


私も声を失って歩き始めたばかりの1年生。皆さんと一緒です。こんな私だから出来る事。こんな私にしかできない事。そんな事を考えながら生きて行こうと思います。皆さんに負けないように、新しい人生を進んでゆきます。」


えっどうしたの、どういう事 ? ・・・会場の学生が、また全国のファンがその事実を知った瞬間でした。あの華やかなステージの後のつんくさんのあいさつは声の無い字幕でした。


誰もが目頭を熱しないわけには行きません。同時につんくさんはすごい人だねと思いました。自分の不利な状況までもステージ作りのネタにし、この手は2度と使えない演出を出身校の近畿大学の入学式に組み入れたということです。いっぽう病気で手術した事をさらけ出す決断はそれほど簡単に彼自身が受け入れたとは思えません。きっと激しい葛藤の中で結果として体を張っての演出と演技をした事実はプロの中のプロでしょう。


スゴイね


自分でプロデュースして見る人の感動を得ようとした彼の思惑通り、つくんさんの生き様を目の当たりにして素直に圧倒されました。偶然が重なってこの会場にいた自分がハッピーな気分になれました。徳生君とお父さん、またビジネスがこんな機会をつくってくれたので会社の皆さんにも感謝です。式が終わり説明会の教室に戻るまでの4月4日の歩道周辺は、春の日差しを浴びて暖かく桜も満開で夢のような入学式でした。


誰かが人生は見方によっては演出をして演技をすることであると言っていました。演技という言葉だけなら嘘偽りのことになってしまいますが真剣さが99%位に迫ると演技そのものが値打ちを帯びてきます。またそうして生きて行かないと乗り越えられないことが多いようにも思います。学生の頃の不安定な気持ちは日頃生きてゆくうえで身近で最も大切な考えが得られないまま、追いかけても追いつけない理屈や理論ばかりを求めていたからに違いないと振り返る一日でした。