おはようございます。青空のもと、素晴らしい朝を迎えています。朝からすっかり暖かくなって参りました。
さて、通勤経路上の地図を眺めていますと、様々な寺社仏閣等があることが分かりました。遠方に出掛けるのも良いのですが、身近な所の寺社仏閣等の再認識を深め、今後の資とするために、通勤経路上の寺社仏閣等の探索を実施して参りたいと思います。
手始めに東京都北区王子に鎮座まします王子神社のご紹介となります。
王子神社は中世に周辺における熊野信仰の拠点となった神社です。
王子という地名から西洋の白馬に乗った王子様を連想するのは、愚生だけでしょうか。
1323年、当時の領主であった豊島氏が紀州の熊野権現を勧請(「かんじょう」とは、神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)し「若一王子宮」(にゃくいちおうじみや)を神仏を慎んで祀りしました。このことから「王子」の名称は、王子神社に由来しているそうです。
徳川家康公は社領200石を寄進し、将軍家祈願所と定め、歴代の将軍の表敬が厚く、三代家光公は寛永十一年、社殿を造営し、また林羅山に命じて当社縁起「若一王子縁起絵巻」を作らせたそうです。
八月の例大祭には北区無形民俗文化財に指定されている王子神社の田楽舞が奉納されるそうです。京浜東北線の王子駅からすぐですので、機会あれば是非見てみたいですね。それでは、今日も一日、頑張っていきましょう
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
さて、通勤経路上の地図を眺めていますと、様々な寺社仏閣等があることが分かりました。遠方に出掛けるのも良いのですが、身近な所の寺社仏閣等の再認識を深め、今後の資とするために、通勤経路上の寺社仏閣等の探索を実施して参りたいと思います。
手始めに東京都北区王子に鎮座まします王子神社のご紹介となります。
王子神社は中世に周辺における熊野信仰の拠点となった神社です。
王子という地名から西洋の白馬に乗った王子様を連想するのは、愚生だけでしょうか。
1323年、当時の領主であった豊島氏が紀州の熊野権現を勧請(「かんじょう」とは、神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)し「若一王子宮」(にゃくいちおうじみや)を神仏を慎んで祀りしました。このことから「王子」の名称は、王子神社に由来しているそうです。
徳川家康公は社領200石を寄進し、将軍家祈願所と定め、歴代の将軍の表敬が厚く、三代家光公は寛永十一年、社殿を造営し、また林羅山に命じて当社縁起「若一王子縁起絵巻」を作らせたそうです。
八月の例大祭には北区無形民俗文化財に指定されている王子神社の田楽舞が奉納されるそうです。京浜東北線の王子駅からすぐですので、機会あれば是非見てみたいですね。それでは、今日も一日、頑張っていきましょう
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆