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おはよう…こんばんは…ですね。明日の朝は、投稿の余裕がないので、夜分遅くに申し訳ないのですが、明日の分の投稿とさせて頂きますのでご了承願います。さて、数々のスピリチュアル体験の興奮冷めやらぬ状態で麻賀多神社を出て、国道464号線沿いを歩き出します。

次なる目的地は、宗吾生家です。宗吾は、名主という農民の代表でありました。かなり、大きい部類の家ではないかと思います。

普段は、藩の伝達事項の周知徹底や担当区域の年貢米の集計などを行っていたのでしょうか。また、担当の農民の世話人として、様々な庶務的なこともやっていたのかも知れません。

当時、化学肥料や品種改良された作物も無く、気象の変化等で飢饉に陥ることが多々あり、悪辣な老中達の贅沢三昧も加わり、江戸に近いにも係わらず、餓死者が出るほど困窮したのが、直訴の原因とも云わています。

一揆になりそうな時も、それをなだめたり、自らの全財産を分け与えて飢餓を救おうとしたとのことでした。実は、将軍に直接、直訴する前も何人かの幕府高官に嘆願しましたが、筋が違うと断られたそうです。

成す術もなく、倒れていく農民を救うため、彼は、自らの命を犠牲にして最後の手段たる直訴を決意します。たしか、歳は、僕と同じぐらいです。誰だってまだ、死にたくないですよね。ましてや、守るべき妻や可愛い子供だっている。

彼は、大いに悩み、苦しんだと思います。いっそのこと、逃げようとも考えたのではないでしょうか。でも、困窮した農民の代表たる名主としての責任感、いや、農民の命を救う使命感が利己の念を払拭し、行動へと突き動かしたのではないかと思います。

この生まれた家で、彼が感じた様々な想いを肌で感じてほしいと思います。
注意するのは、午後三時までの早い時間で閉まってしまいます。宗吾のお仏壇があり、子孫の方?のご説明があるので是非ともお聴きください。感動しました。それでは、今日も一日、頑張っていきましょう(*^ー^)ノ♪