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おはようございます。今日の関東圏は、あいにくの曇り空となっています。さて、義民ロードをぶらりと歩いて行きますと、徒歩で30分位でしょうか。宗吾霊廟が見えて参ります。

端的に言いますと、宗吾霊廟とは、江戸時代に「百姓の神」として崇拝された佐倉宗吾(宗吾は俗称、本名は、木内 惣五郎、現在の千葉県成田市台方の村の代表者)をご本尊としてお祀りしたお寺です。

実在した「人間」を神格化したのは、
日光東照宮(徳川家康等を祀った)ぐらいしか記憶にありません。それも、農民の身分でこのようにご本尊として祀られているのは、例がないのではないでしょうか。

具体的になにをしたのかを端的に言いますと、「過酷な年貢の取り立て等の不正を、農民を代表して殿様への直訴を申し出て処刑された」という事です。

現代の我々には、文言だけ読んでもどういうことなのか理解できません。

お寺の敷地内に「宗吾御一代館」という藩の圧政から処刑に至るまでの経緯を人形を使って展示している記念館があります。

残念ながら、写真撮影を禁じられているため、看板を撮影。

一番のクライマックスともいえる将軍への直訴のシーン、家族に罪が及ばないよう妻との離縁、子供への勘当の処置をして別れるシーン及び甚兵衛という舟守が、宗吾の心意気に打たれて掟を破って宗吾を船で渡すシーンを含めた出来事の一連の時系列を音声の解説付きで理解することができます。

まだ、アニメーションなどか無かった頃には、等身大のビジュアルで一般庶民にも分かりやすく理解できたのでしょうね。

この出来事のポイントは、「義侠心(広義に、正義を重んじて、悪者をくじき、弱い者を助けること)」であったと考えます。

歌舞伎の格好の題材になり、歴史を越えて、この義侠の物語が、広く多くの人に知られることとなりました。

しかし、時代の移り変わりにより、若い方にその義侠心が理解され難くなってきているようにも感じています。

また、指定暴力団等が誤った認識のもと、義侠心を乱用して、違法行為を行うネガティブイメージなどもその一因にもあるように感じています。

そのような状況のなかで、本施設を訪れ、不正を正した義民の生きざまを振り返り、不正が今もはびこる現代の政治等において、各人が義侠心をもって、それぞれの立場でそれを正そうとする心の育成を培うことは、意義があると思います。